ピの図書館

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【瞬 第1話 図書館②】

…龍我side……

 

 

 

「お疲れ様でした!」

現場に向かって、金指と俺は頭を下げた。

「お疲れ様でしたー」

スタッフさんたちの声を背中に受けながら、急いで楽屋に戻る。

「金指、今何時?」

「12時ぴった」

「了解」

衣装から制服に着替えていると、楽屋のドアをドンドンと叩く音がした。

「龍我、一世、早くしなさーい」

「あー待って待って」

衣装をハンガーに引っかけて、スクバを引っ掴んで外へ出る。

_ガチャ!

仁王立ちして待っていたのは、パンツスーツ姿の菅野さんだ。

「準備できた? 行くわよ」

彼女は、"美 少年"の専属マネージャーの1人だ。芸能活動がある日でも、間に合うときは超特急で学校に連れて行ってくれる。アイドルだけど現役高校生であるところの金指と俺は、しょっちゅうお世話になっている。

ダッシュで車に乗り込んで、やっと落ち着く。腕時計を見ると、収録が終わってからまだ5分しか経っていない。

「お疲れ様。昼休みには間に合うから、学校の売店で何か買いなさいね」

「はーい」

菅野さんには俺が"美 少年"(当時は違う名前だったけれど)としてグループを組んだ頃からお世話になっているから、もう3年の付き合いになる。家族と過ごす時間より仕事する時間のほうが多い俺たちにとっては、もう1人の母親のような存在だ。

彼女の運転する車は都心を抜け、あっという間に市街地に入った。

「あぁ、腹減ったぁ」

「俺もー」

さっきからお腹が鳴っている。それは隣の金指も同様らしい。

菅野さんは苦笑した。

「君たちはご飯食べに高校行ってるみたいねぇ。さすが少年」

「あれ、菅野さんってダイエット中でしたっけ?」

「そうよぉ」彼女は歌うように答えた。「旦那のためにね」

「あぁ、他の女に取られないようにするためでしょ」

「ちょっと、バカにしてんの」

「してません」

「…ほら、着いたから。さっさと行きなさい」

校門の前で車が停まり、菅野さんは追い払うように手を振る。

この人、ちょっと言うとすぐコレだよ。

「ま、とりあえず行ってらっしゃい」

「行ってきまーす!」

 

 

 

トレイトコース2年。トレイトコースはもともと人数が少ないので、一学年一クラスしかない。

教室の扉を開けると、ちょうどお昼の時間に差し掛かっており、おいしそうな匂いが漂っていた。

「おはよう、てかこんにちは? か」

「おー、おはよう」

ガヤガヤとした雰囲気のなか、1人の女子生徒がとてとてと駆け寄ってきた。高2のわりに幼い顔をしている、彼女は学級委員の志田美久。

「佐藤、金指。午前の授業プリント、机のなかに入ってるから確認しといて」

「お、サンキュー」

  _ガラガラ

教室の扉が開き、担任の村田が入ってくる。俺たちを見るや、「おぅ、こんにちは」と野太い声で挨拶し、「橘、そろそろ時間だぞ」と告げた。

「うっ、やば!」

教室の前方で食事をしていた橘菜摘が勢いよく立ち上がり、片付け始める。

「ナッツ、仕事?」

「そ、今日はドラマ」

「初主演だっけ。すごいねー」

口上では"がんばってねー"と言っているものの、そこは芸能界のライバル同士。2人の間には一瞬火花が散る。女優って怖い。その点、俺はジャニーズで良かったと思う。グループ活動だから、個人とかあんまり気にしなくていいし。

「いただきまーす」

教室へ来る前に売店で買ったパンを食べながら、そんなことを思った。

トレイトコースでは、仕事関係での遅刻早退欠席はよくあることだ。今日の俺と金指みたいに午後から授業に参加したり、反対に午前中のうちに帰ることだってある。そのぶん勉強は進まないから、遅れたぶんは長期休暇中に補習をして取り戻す。トレイトコースに夏休みなれ冬休みなるものはないのだ。

俺の後ろの席で、机のなかから取り出したプリントを確認していた金指が、「うわぁ…」と気の抜けた声を出した。

「どうしたの」

「龍我、三次方程式わかる? ってわからないよね、ごめんね」

おい、わからない前提で訊くな。まぁ、わからないけど。

「これ」

金指は読んでいた冊子の表紙を見せた。

"三次方程式100"って…100問解くんですか。提出は明日までとなっている。

「え、ちょ待って、無理〜!」

悲痛な叫びが耳に入ったのか、斜め前の席で食事していた神木が振り返った。

「それ、5時間目の自習でちょっとできるから。教えてやるよ」

「お、さすが頭いいー」

「本来は先週末にやる宿題なんだって。一般コースの奴から聞いた」

神木彗、彼は志田と同じくもう1人の学級委員で生徒会に入っているため、一般コースの生徒とも顔が利く。

東城高校内で2つのコースが交わるのは、唯一生徒会だけである。まぁ生徒会なんて、あまり忙しくちゃできそうもないんだけど、神木に限って違うのだ。若手人気俳優でかなりの仕事があるわりに、彼は勉強ができる。ていうか何でもできる。うちのグループでいう那須みたいな奴。トレイトコースで一番の秀才は、間違いなく彼だ。

「てか、龍我聞いた? 今度の美tube、ロケなんだってさ。那須が言ってた」

金指がミルクパンを頬張りながら言った。どうでもいいけどミルクパンとブラックコーヒーって女々しいんだかオトナなんだかわからないな。ミステリアスだ。

「マジか。どこ行くの?」

「それは知らないけど。テーマは"今話題の女性"? とか言ってたっけな」

「グルメロケじゃないんだね…」

「いや、そんなに落ち込まなくても」

昼食代を浮かせられるかと思ったのに。お勉強ロケか。

「…俺は楽しみだけど」

金指は、しらーっとした横目で俺を見た。何その軽蔑した目つき。

「わぁかってるって! 仕事だから! 全力で楽しみます!」

「うん、その心意気でね。あー、このパンおいしい」

どのタイミングで言ってんだよ…

ミルクパンを口いっぱいに頬張った金指は、ハムスターみたいな顔で頷いた。

 

 

 

トレイトコースの授業は、なんといっても自習時間が多い。とにかく芸能活動のほうが忙しいので、勉強は一般コースよりゆったり進む。一見フリースクールのようだけど、長期休暇中の補習を減らすため、自習時間で取り戻せるぶんは取り戻しておきたい。みんなそう思っているから、たとえ先生が監督していない自習時間といえど、のんびりしている生徒は1人もいない。

5時間目の間に、神木に教わりながら三次方程式を理解し、午前の授業ノートを写し終えた金指と俺は、既にくたくただった。チャイムが鳴ると同時に机に突っ伏して、たれぱんだ状態になる。

「疲れた…」

最近はいつもこうだ。どんどん仕事が増えてきている。嬉しい悲鳴だけれど、授業を休みがちになっているから、本気で成績が心配になる。そろそろ中間テストの時期なので、その勉強もしなければならない。

「…ねぇ、金指」

「ん?」

「放課後さ、図書館行かない?」

「ん〜、わかった〜」

妙に間延びした回答が返ってきたので気になって振り向くと、金指のやつ、先生がいないのをいいことに携帯をいじっている。校内では使用禁止なんだけど。

「なにしてんの」

那須からLINE来た」

「あ、そう」

プライベートか。どうでもいいことだったのでまたたれぱんだ状態に戻りかけると、金指はぼそっと「花か…」と呟いた。

「え?」

「美tubeのロケの話。"フラワーアレンジメントの業界トップの女性の自宅を訪ねて、フラワーアレンジについて学ぶ"って書いてある。さすが那須は耳が早いね」

金指はウキウキした様子だけど、

「早すぎるんだよな」

台本もらう前に内容分かっちゃったじゃん。那須雄登の情報収集能力には度肝を抜く。以前、雑誌の企画で肝試しに行かされたときも、その1ヶ月も前にお化け屋敷ロケをやるらしいとはた迷惑なLINEを送りつけてきて、当日まで俺の気分を沈めていたこともある。良くも悪くも心構えはできるものの、スタッフさんはもう少し口を硬くするべきですね。

「そろそろ時間だよ」

俺はスクバから教科書を出した。金指も携帯をしまって、

「次なに?」

「古文」

  _キーンコーンカーンコーン

ちょうどチャイムが鳴る。6時間目、久しぶりに受ける授業が始まった。