ピの図書館

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【瞬 第6話 疑念①】

…真梨side……

 

 

 

学校までの道を歩いていた。

あるかなしかの風が吹き、足元をすり抜けていく。

9月2日。今日から2学期が始まる。警備員さんしかいない、早朝6時半の学校に入ると、私はその足でいつもの場所に向かった。

_ガラガラ

書庫のドアを開けたとたん、強い力で引っ張られて、

「……真梨」

龍我くんの腕に抱え込まれる。

「…おはよ」

おかしい。少し会っていなかっただけなのに。この香りも感触も、懐かしいと感じる私がいた。

「おはよう」

ぎゅーっと抱きつくと、「うぉ、苦しい」と照れたように笑う声。

「なぁにー? 寂しかったのー?」

からかう声が、いつもの龍我くんで安心した。

「可愛い。ほんと。大好き」

出会った頃よりはだいぶ開けっ広げになってきた口調に、私の顔はたぶんきっと真っ赤だ。

体を離して制服を直しながら、龍我くんが言った。

「そうそう。真梨にプレゼント」

「プレゼント?」

「…これ。どうぞ」

小さな紙袋を渡される。ドキドキしながら中身を見てみると、入っていたのは…

「可愛い!」

私は思わず歓声をあげた。

香りつきのブックカバー。薄紫色の花柄が女の子っぽくて可愛らしい。

私の大好きな本にかける、大好きな人からのプレゼント。

でも、私は龍我くんに何も買ってない…

ふっと真顔になった私に、

「あー、いいのいいの」

彼は軽く手を振った。

「本当は真梨の誕生日に渡してもよかったんだけど、冬まで待てなくて」

そう、私の誕生日は、12月24日。教えたとき、クリスマスイブなんて偶然だね、と驚かれた。

「ま、誕生日にもあげますけどね?」

ニヤッと笑った龍我くんには、本当に感謝しかない。

「…ありがとう」

「どういたしましてー」

ブックカバーを見つめて、私は思っていた。

このとき2人、当たり前みたいに思っていたんだ。

クリスマスイブも、一緒にいられるって。

「…真梨、こっち見て」

龍我くんの顔が近づいてきて、私は全身の力を抜いて目を閉じた。

お互いの"好き"を確かめ合うかのように、長い、長いキスをした。

 


現実は、すぐそこにいた。

…目を閉じていなければ、それに気づくことができたのに。

 

 

 

…?side……

 

 

 

速く歩いた。

足が痛くなるくらい、速く。

あの場所から逃げたくて、遠ざかりたくて。

あの人のいるあの場所から。

どういうこと?

理解できなかった。

こんな朝早くに、生徒がいるわけない。そう思って手をかけたドア。それは開かれる寸前で止められた。

僅かに開いた隙間から、聞き覚えのある声と、もうひとつ…誰かの声。

その瞬間、ありえないはずの情景が目の前に現れ、呆然と立ちすくんで…私は、動けなくなっていた。

心臓がどくどく気持ち悪い音をたてて、吐き気がした。

ここにいてはいけない。

私は重い足を必死に動かした。歩いて、歩いて…教室という現実に、戻ってきたのだ。

 

 

 

…真梨side……

 

 

 

7時前、教室に行くと、珍しく夏菜子のほうが先に登校してきていた。

「やっはろー、真梨」

「おはよう。今日早いね」

いつもは私が一番乗りだから、既に誰かいる教室に入るのは不思議な気分。

「いや逆に真梨にしては遅くない? 寝坊?」

「う…ん。まぁそんなとこ」

適当にはぐらかして席に座ると、夏菜子が私の顔を覗き込んだ。

「…で、どうなった? あの件」

このタイミングであの件、といったらただひとつだ。私は横に小さく首を振った。

「えー…お似合いだと思うけどな。真梨と高野」

あの後…ディズニーランドに行ったその翌日、私は夏菜子にだけ、高野くんに告白されたことを話した。彼女はふんふんと頷きながら聞いてくれて、

「付き合っちゃえば?」

いとも簡単に答えを出した。

「だってあんなイケメン、滅多にいないよ? あたしも良い奴だと思ってたし。…ま、龍我のほうがイケメンだけどね」

"龍我"。その名前を聞くたびに、胸が塞がるような思いがする。

高野くんから告白されたとき、私の頭のなかには、龍我くんの顔が浮かんでいた。

あの日、涙を流しながら私に想いを伝えてくれた彼の姿を。

迷っていた。純粋な瞳でまっすぐ私を見つめて、"好き"と投げかけてきた高野くんの向こうに、龍我くんが立っているように感じたから。

2人はよく似ている。

自分の魅力も、振りまく笑顔も、女の子の惹きつけ方も。

だからなのか、私はあのとき、

『ごめんね、少し考えさせて』

はっきりと、断れなかった。

『うん、気長に待つ』

高野くんは少し笑って答えた。

残った夏休み、私は考えた。

自分の答えは既に決まっている。

あとはどう断るか…

それを考えていた矢先の夏菜子からの返答に、私は面食らった。

でも、普通ならそう答えるよね…

「んもー、ここまで来て進展なしとか、親友としてじれったいんですけど〜!」

夏菜子は両足をばたつかせた。彼女としては、高野くんと私をくっつけたいみたい。

でも、でもなぁ…

はぁー、と長い溜息をついたとき、教室のドアが開いて、クラスメートがわらわらとやってきた。そのなかに松井くんと高野くんがいて、私は思わず下を向いた。

2人は私たちに気づき、「よー!」と手を上げる。

「やっはろー。あれ、アリーは?」

夏菜子がきょとんとしている。確かに、いつも一緒に来ているはずの有沢くんがいない。

「ん、あぁそれはだな…」

松井くんの説明を遮るように、再びドアが開く。

そのとたん、教室が一気に静かになった。

みんな唖然として、入ってきた"2人"を見ている。

「あ、そういうことね…」

事情を知っている私たちは思わず苦笑い。

「どうした…の? みんな」

有沢くんが驚いたように立ち止まり…その隣の麗華も、戸惑ったように瞳を揺らした。

「…行きましょう」

呟くように麗華が言い、有沢くんの制服をクイと引っ張る。その仕草に、クラスメートも何があったのかわかったみたい。

「お前ら、付き合いだしたの?」

「マジで!? 宮崎狙ってたんですけどぉ〜!」

「えぇー、麗華ちゃんおめでとう!」

「あ…ありがとう」

そこからは質問の嵐。学年一の美少女と天才ピアニストのカップルだから、みんな興味津々だ。

「アリー、お前いつ告ったのよ?」

「……秘密にしとく」

うん、有沢くんらしい答え。

あっという間に囲まれる2人を一番外側から眺めていると、トントンと肩を叩かれた。

「…返事、待ってる」

耳元で囁かれた声に、思わず肩が小さく跳ねる。

「高野くん、あのね」

そう言って振り向いたとき合った目に強い力を感じた。私は用意していた言葉を胸のなかで反芻し、息を吸った。

「放課後、屋上に来て」

彼は表情を変えないまま、「わかった」とだけ答えた。

 

 

 

_ガチャン

ドアを開けたとたん、地上より強い風が私を出迎えた。

ここへ来るのはいつ以来だろう。

入学式の日、夏菜子と麗華と3人で上って、中学とはまるで違う景色に歓声をあげて…あれ以来だ。屋上が立入禁止なんて知らなくて、先生に気づかれて怒られたっけ。

そのフェンスに、高野くんが寄りかかっていた。

「ごめん、待った?」

「全然」

高野くんの前に立ち、私は深く息を吸った。

「返事、なんだけど」

告白を断るのは苦しい。

彼は学年で一番モテる男の子なのだ。そんな人が、私を好きだと言ってくれた。

幸せ者だった。普通なら断らない。

…けれど。

「気持ちは、嬉しい。だけど…ごめんなさい」

精一杯に言葉を選んだ私に、高野くんはフッと短く息を漏らした。

「そっか…悪かったな。あんなこと言って」

「うぅん。…でも、ありがとう」

そう言うと、彼は照れ隠しみたいに頭を掻いた。

「ちょっとショックだけど…うん、まぁ、水瀬の気持ちが聞けて良かったよ」

「…うん」

「俺、部活だから戻るわ」

高野くんは、いい人だった。友達として、尊敬できるくらいに。

屋上にひとり取り残された私。

オレンジ色の空を見上げて、龍我くんを想った。

私やっぱり、あなたが好きなんだ。

 

 

 

…?side……

 

 

 

「話があるんだけど」

校舎裏、"彼"を呼び出した。

「…なに?」

彼は形の良い眉をクイッとあげて続きを促した。

「見ちゃった…てか、聞いちゃったんだよね。図書館の書庫で……」

その事実を告げると、アーモンド形の目が見開かれる。

「それ、本当?」

"あの人"と同じように綺麗に整った顔は何を考えているのか、何を思っているのか、…表情の変化がない。つくづく、ミステリアスな人だと思う。

去り際、彼は言った。

「…このこと、誰にも言わないで」

わかってるよ…そんなこと。

 


夏の終わり。

恋の季節に出遅れた、もの寂しいセミの鳴き声が、やけに静かな空間に響いていた。