【瞬 第10話 別れ①】
…志田side……
_ガチャ
校長室の扉を開けると、目の前に泣き腫らした目の彼女が立っていた。
私は駆け寄って、彼女を抱きしめた。長身を屈めて泣く彼女の背中を、ぽんぽんと叩く。
「ありがとう。全部、話してくれて…」
後悔していますか。
そう訊かれたら、私はどう答えるのだろう。
していません。
きっとそう答えるのだろう。
小さなトゲが刺さるような痛みを感じながら、それでも私はそう答える。
実は私、密かに願っていた。
自分勝手かもしれないけど、願っていた。
2人がまたいつか出会うことを。
確証はないけれど、信じていたかった。
2人の…再会を。
…龍我side……
俺はぼんやりと空を見上げた。窓の外は、うっすらと白い世界。
雪だね…真梨。
ごめんね…真梨。
『おかけになった電話番号は、現在使われておりません』
俺は最後まで、彼氏らしいことは何ひとつしてやれなかった。
気づいたときには、真梨はもう…俺の前からいなくなっていた。
あれ以来、毎年初夢が降るたび、俺はあの日を思い出すんだ。
12月17日。俺の17歳の誕生日。
それは運命の日だった。
それまでの日々…何も知らない俺は、呆れるほど呑気で……
「ねぇ金指ぃ」
雑誌撮影のため出かけた先、スタッフさんのいないロケバス車中で休憩をとりながら、隣の席の金指に呼びかけると、「んー?」と間延びした声が返ってきた。
「どーしよっかなー」
あえて焦らすように言うと、やっとこちらに向けてくれた目。
「何が? …あ、誕プレか」
読み取り早っ!
「だいたい顔に出るもんね、龍我は」
ふふん、と勝ち誇ったような笑みに、俺は参って話し出す。
「いやさ、プレゼント買うとき一緒に来てくんないかなーって」
「別にいいけど…てか早くない? 真梨ちゃん誕生日クリスマスイブだよね? 今まだ11月だよ?」
「いーでしょ。こういうのは早いほうがいいのー」
「もうそれ自分の誕生日すら忘れる勢いじゃん…買わないからね誕プレ」
「え、ちょっと待ってそれはひどくない? 俺のぶんは買うべきでしょ」
「何が欲しいの? 具体的にどうぞ」
「なんか祝われてる気がしないんだけど…えっとね」
結局真梨への誕プレの話は進まないまま、再び撮影に呼ばれた。
「…いるよね」
「…いるね」
金指と目配せすること数回、俺はこっそり溜息をついた。
休日、同年代の子たちで溢れている都心の大通りは、恰好の"狩り場"だ。
ましてや普段から大した変装もしない俺たちは、まぁ見つかりやすい訳で…
数分前から後をつけられている感覚があって、盗撮もされている気がする。気分の良いものではない。
こんなんじゃガッツリ女の子向けのファンシーショップに入ることも憚られる…けど。
「臨機応変」
「そうだね」
家を一歩出たらアイドルを意識しろ。そう言ってたのは誰だったっけ。
ファンの子たちを巻くために路地裏を適当にぐるぐる回っていると、道路脇に狭い階段を見つけた。地下に続いている。何かのお店があるようで、パッと見では解読できない難しい英単語がつらつら並べられていた。
…潜るが勝ち。
こういうときは、オープンなお店より小さな隠れ家に逃げたほうがいい。
今度からちょっと変装するかな、でもしたところで意味ないか…
何はともあれ地元の人じゃないと知らなさそうなその店に、俺たちは足を踏み入れることにした。
おそるおそる地下に下りると、モスグリーンの扉に控えめな"OPEN"の看板が掛かっている。それ以外に得られる情報はない。
ラッキーだ。ここで時間をつぶそう。
_ガチャ
「いらっしゃいませ」
その途端、俺たちは小さな悲鳴をあげた。
6畳ほどの店内には、アンティークな雑貨が並んでいる。他にお客さんはいないようで、若い女の店員さんがひとり。彼女は奥のカウンターからちょこんと会釈した。
普段こういうお店には入らないからなんだか新鮮だ。金指なんて早くも目についたものを次々手に取って眺めてるし。
どれも一点物らしく、大人っぽいデザインから可愛らしいアクセサリーまで様々。これは新しい発見かもしれない。
「…で、真梨ちゃんには何買ったの?」
「ん、あー、これ」
差し出した紙袋を覗き込んだ金指は、「ほー」と嘆息。
「うん、まぁ…素敵な夜をお過ごしください」
「いや、素敵な夜とか…そんな、へへ」
「は? 何考えてんの? いかがわしい…」
目の前の金指がドン引いていた。そっちから振っておいてその反応はない。
「ほんと、龍我はわかりやすい」
「ねぇマジやめて」
アホみたいなことを言い合える仲間がいて、大好きな人がいて。それだけで良かった。
プレゼントを渡して喜ぶ真梨の顔を思い浮かべて、幸せな気持ちになって…
ひどいよな、神様は。
最後の最後まで、"幸せ者"だったのは…俺だけだったなんて。
「真梨」
期末テスト1週間前をきった、12月5日。書庫での時間。
難解な数式を解いて、くぁ、と背伸びしたついでに、隣で勉強している真梨に抱きついた。
「わっ、びっくりした…」
小さな声で、シャーペンを置いて俺の目を覗き込む。
「かまってくんモードなの?」
「そうかも」
「勉強しないと順位下がるよ」
照れ隠しなのか、一気にツンになる彼女に意地悪したい気になり、スタッと立ち上がる。
「ふーん、そういう態度とるなら俺もう帰っちゃおうかな…」
「え、あ、待って」
きゅっと掴まれる腕。上目遣いで今にも泣きそうで…余裕を見せようと笑いかけたそのとき、
「…っ」
___。
一瞬で離れていく唇を、その頭を引き寄せて、もう一度重ねた。
「……構ってほしいのは真梨のほうなんじゃない?」
「…うるさい……」
顔を真っ赤にして俯く。
真梨からキスしてくるのは珍しいなと思いながら見つめていると、ゆっくりと顔を上げた彼女は、俺の顔をまじまじと見た。
「龍我くんはかっこいいね…」
「…え、いきなりどーした」
突然の一言に、戸惑いながらも嬉しさが隠しきれない。
「私ね、ほんとに…龍我くんに出会えて、良かったと思ってるよ。…すごく幸せ」
いきなりそんなことを言うから、
「俺も幸せだよ」
なんて、照れるけどうまく言えたかな。
「うん…ありがとう」
このとき、彼女の涙目の意味を、俺は知らなかった。
真梨からキスしてくれたことが嬉しくて、ほどなくしてやってきた甘い時間に浸ってしまったのだから。
…夏菜子side……
なんで…よ。
目の前に貼り出された紙を見て、あたしは動けなくなった。
なんで……
ひとり呆然と立ち尽くす。周りには誰もいない。あたしは目の前だけを見る。
その無機質な文字に、地面に張りつくように固まっていた足が駆け出した。
窓の外では、ひらひらと雪が降り始めていた。
この日を忘れることはできない。
初雪の降った…12月17日のことだった。