【瞬 第10話 別れ②】
…志田side……
「じゃあ…言ったんだな、先生に」
ケイは静かな目で宙を見つめていた。
「うん…橘さんが、話してくれて」
彼女は一度、秘密にすると誓った恋を、大きな決意のうえで、私に話してくれたのだ。
それは修学旅行前、ケイに渡されたメモの最後の文と寸分違わない告白だった。
『あいつが好きなのは、たぶん佐藤だ』
ケイが思った通り、橘さんは片想いを認めた。好きになった経緯と、…隠した理由。それは、ケイも私も予想し得なかった理由だった。
『校則があったからじゃない』
"恋愛禁止"だから想いを隠したのかと訊いた私に、橘さんははっきりとそう言い切ったのだ。
『付き合ってるの。一般コースの子と』
だから他言無用だったのだと。
橘さんの本音と、真実を聞いたあの日。
廊下を歩きながら、考えることはひとつだった。
学級委員として何ができるか。
橘さんも佐藤も、大切なクラスメートだ。
このまま私も隠したとして……心に重荷を抱えたまま隠したとして……それは、彼らにとって良い結末になるのだろうか。
誰かに嗅ぎ付けられる前に、どうにか収まる方法はないのか。
『水瀬真梨、さん』
先ほど聞いたばかりの彼女の名前を、小さく呟く。
どんな女の子なんだろう……
まだ見もしない彼女を思い浮かべながら、私は目の前にぼんやりと道が開けていくのを感じた。
「…それで、決めたのか」
事の顛末を話すと、ケイは深く溜息をついた。
「終わった…な」
「うん…終わった」
微かにホコリの舞う、静かなこの部屋は、2人でいつも話し合い、物事を決める大切な場所だった。
そして今またひとつ導き出した答えを、私は幼馴染に…一番頼れる、心から信頼している彼に、問いかけた。
ねぇ、ケイ。
私の行動は正しかったの?
「あの2人は…」
さぁ、分からないよ、俺にも。
「そうなるべくして、そうなる運命だったんだよ」
…夏菜子side……
12月17日。
2学期の期末テストが終了して3日。本来なら解放感に満ちた試験休み期間を過ごしていたはずのあたしは、訳あって誰もいない学校にひとり呼び出されていた。
「はぁ…」
思わず溜息が漏れる。
その理由は、持っているこのダンボールの重さだった。中身は、高3からの文理選択用紙と分厚い進路冊子がクラス全員分。
どうやら、うちのクラスに大幅な進路修正をしなければならなくなった生徒がいたらしい。重要な書類だから個別に提出することができなくて、うちのクラスだけ終業式直前の今日まで期限を延ばしてもらったのだ。
そして、これを最後にまとめて提出するのは、学級委員の仕事だった。
職員室に向かう途中、しんと冷え込んだ廊下の空気に、手はかじかむのを通り越して固まってしまっている。
もう、ほんとに…誰よ。大幅な進路修正って。いい迷惑だっつうの。
心のなかでぶつくさ言いながら歩いていると、不意に、ひゅうと吹き込む風。こんな日になぜ窓が開いているのか。思わず首を縮こませたとき、視界の隅で何かがひらりと揺れた。
学年掲示板。試験休み中は全ての掲示物が剥がされているはずのそこに、1枚のプリントが寂しげに貼られていた。
「え……」
最初それは白紙に見えた。
書かれていることが、あまりにも短くて、唐突な文章だったから。
"2年A組 水瀬真梨を退学処分とする"
その一文だけだった。
たった一文の告知に、あたしは全身かたまったまま、何も考えられずにいた。
ロボットみたいに固定された動きで、あたしは無意識のうちに、しゃがみこんでダンボールを開けていた。
水瀬真梨、水瀬真梨……
あった。
そっと引っ張り出した真梨の文理選択用紙は、文系の欄にされたチェックの上に、赤ペンで二重線が引かれていた。
『急遽、進路変更した生徒がいたのよ。だから、試験休み中にまとめて提出頼むわね』
テスト最終日、学級委員のあたしに担任の先生はそう言った。
…まさか、真梨?
次の瞬間、あたしは駆け出していた。ダンボールを抱え上げて、廊下を一気に駆け抜けた。
_ガラガラッ
職員室の扉を開き、目指す姿に直進した。
「あら、佐伯さんお疲れ様。ありが…」
「どういうことですか」
「え?」
「真梨のこと。なんで退学するんですか!?」
突然の質問に先生は一瞬うろたえたように瞳を回したが、すぐにあたしを正面から見据えた。目の奥の奥まで覗かれているような強い視線。もしかして、あたしが知っているかどうか見極めようとしているのだろうか。真梨の退学ときいて思い当たる節はただひとつ、龍我との関係だ。
「…重大な校則違反です」
先生から放たれたのは、淡々とした一言だった。
やっぱり、あのことだ。
2人の関係がバレたんだ。
頭を強く殴られているような衝撃が広がった。
「それで、真梨は…?」
「実は、昨日既に退学届が受理されてね…もう学校には来ないわよ。みんなとちゃんとしたお別れができなくて、彼女も寂しがっていたわ。素晴らしい生徒だったのに…残念ね」
まるで台本を読むように、先生は話した。一見、悲しそうな表情。けれどその裏に、"担任"としての本心が透けて見えた。
…よくも裏切ってくれたわね。
呆気にとられて何も言えない。無言の時間が流れるなか、彼女の失望が見えた。
真梨はいつも完璧だった。入学当初から成績は不動のトップ。品行方正、まさに東城高校の模範的生徒。
学校とは残酷だ。龍我との関係は、真梨の評価を地の底まで貶めた。校則違反というレッテルを貼りつけて、厄介者の彼女を追い出したのだ。
「…ひどすぎる……」
嗚咽まじりにどうにか絞りだしたのは、負け惜しみの言葉だった。
学校という大きな力に抗おうと、あたしの口は開いていた。
「なんで…先生! 他に手段はなかったんですか!? なにも退学までさせることないじゃないですか!? なんで、なん…」
なおも続けようとするあたしは、先生を見て思わず口をつぐんだ。
氷のように…冷たい目。
一瞬怯んだあたしの腕をとり、職員室の外へ連れ出す。他の先生の目がない廊下で、
「知っていたのね?」
尋問をするかのように、一言そう訊いてきた。
「水瀬さんと…彼の、関係を、あなたも知っていたのね?」
頷くこともせず、あたしは先生を真正面から見続けていた。認めたくない。
「でも、彼女からは何も訊かなかったのね?」
質問の意図がわからず首を傾げると、先生は「だからか……」と頷いた。勝手に自己完結しないでよ。
またも抗議したい気持ちを抑えながら先生を見る。
「2週間前のことよ」
始まりは、とある生徒からの密告だった。事情を知った先生たちが真梨の処分を決めるのに、そう時間はかからなかった。
そして、退学届が手渡された。まっさらなその用紙は、最後通告だった。
真梨に与えられた猶予は2週間しかなかった。2週間…考え続け、真梨は退学することを決めたのだという。
この2週間の真梨を思い返す。
真剣にテスト勉強に取り組んでいる姿。
龍我と楽しそうに笑っている姿。
知らなかった。
あたし、何も知らなかった。真梨の気持ちも何も。
ねぇ…どうして。
どうして何も言ってくれなかったの?
混乱する気持ちで、思いついたことはただひとつだった。あたしは携帯を取り出し、彼に電話をかけた。
…龍我side……
12月17日。
番組収録の楽屋にて、事前に渡された台本を開く。
「うーわ、そうそうたるメンバーだな……」
1人きりの楽屋で思わず溜息が漏れた。
大物タレントが司会の人気番組に、金指と出させてもらえることになったのだ。
他の出演者も"今話題の◯◯"とキャッチコピーが付くような芸能人ばかり。完全アウェイな感じがするけれど、ここは"美 少年"を売り出すチャンスと考えたマネージャー菅野さんがオファーを受けたらしい。
へー、あの子役か。あ、昨日テレビで見た芸人さんだ。え、てか、橘もいるじゃん……あいつすごいな。
橘といえば、いつだったか図書館で冷たい態度を取ってしまったことを思い出す。別に悪気があった訳ではなく、ただ真梨のことで頭がいっぱいだった。今更ながら、悪かったな、と思う。
_ガチャ
「龍我」
楽屋のドアが開き、金指が入ってきた。
「あれ、飲み物買いに行ったんじゃないの?」
「え、あ、うぅん…」
様子がおかしい。
"誕生日なんだから飲み物奢ってよ"
"それは無理〜"
みたいな軽いやり取りを想像してたのに…
「龍我、あのさ」
やけにかしこまって隣に座る。
「落ち着いて聞いてほしい」
金指は言葉を選ぶように、ゆっくり話しだした。
「…真梨ちゃんが……」
それはあまりにも突然のことだった。
その後のことを、俺はよく憶えていない。収録開始の呼び出しに来た菅野さんは、ひどい泣き顔の俺を見てすぐにメイクさんを呼び出し、濃いメイクを施した。深い事情を聞かないまま。
カメラを前にして、貼りつけた笑顔をどうにか保ちつつ収録に臨む。
笑顔とは不思議なもので…嘘だとしても、場の雰囲気が明るければ笑えるんだな…と思った。
「お疲れ様でしたー」
そして、NGを出さずになんとか終了し、静かな楽屋に戻ったとたん…ほっと安堵の溜息をついたとたん、涙が堰を切って溢れ出した。
「龍我……」
金指は何も言わずに傍にいてくれた。
「ちょっと、あんたたちどうしたの…」
遅れてやってきた菅野さんに、どう説明したらいいのかわからず、情けなく顔が歪む。
「一世、ちょっと外に出てなさい」
「…え」
「いいから外に出なさい」
菅野さんの言葉に、「はい」と答えた金指が出ていくと、楽屋は菅野さんと俺の2人だけになった。
「…龍我」
優しい声に、ますます熱いものが込み上げる。
「菅野さん、俺、俺…」
「もういいわ。わかってるから。何も言わなくていい」
俺は驚いて菅野さんを見つめた。
「学校から電話があったから。あなたと…水瀬さんのこと」
決壊した脳は、ただ、涙を流せる場所を探した。
12月17日。
17歳になった俺は…子供みたいに、菅野さんにすがりついた。