ピの図書館

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【瞬 第2話 偶然①】

…真梨side……

 

 

 

学校を出ると、オレンジ色の斜陽が目に眩しい。

腕時計を見ると午後5時を少し過ぎた頃。いつものように近所のスーパーに寄り、セールで値引きされた商品を狙ってカゴに入れていく。そろそろ夕飯を作り始める時間だ。リスト通り買い終えて、急いで家に帰った。

_ガチャ

玄関を開けたとたん、ほのかな花の香りが私を出迎える。

「ただいま」

返事はない。さては誰もいないのかと、目の前のドアを開けると、

「おー、おかえりー」

びっくり顔のお姉ちゃんが振り向いた。その右手には黄色い花。

「ごめん、集中切らせた?」

謝ると、「ううん」と首を振ってまた背を向ける。そして、作業台の上の小さなガラス容器を前に思案し始めた。

花屋ではない。売っているものもあるけれど、花単体ではなく、作品として売っている。ここは水瀬家の1階、フラワーアレンジメントのお店"エミュール"。

床に所狭しと置かれた花瓶に挿されている花は数十種類に及ぶ。そこから好きな花を選んで、適当な容器に飾っていくのだ。

いつでも誰でも手作りのフラワーアレンジができ、何よりお姉ちゃんの名声もあって、地元ではちょっとした有名店である。

というのも、お姉ちゃんは、業界内で知らない人はいない、フラワーアレンジのトップアーティストだからだ。

5年前、お姉ちゃんが大学のサークル内で作った"ミラクルローズ"という作品が、フラワーアレンジの大会で優勝したのが始まり。そこから、お姉ちゃんは一躍有名なアーティストになった。

それは、フラワーアレンジに大会があることすら知らなかった私から見るとすごいの一言で、お姉ちゃんを少し遠くに感じた瞬間だった。

「あ、真梨、今日の夜ご飯何?」

さっきまで手にしていた花の茎を適当な長さに切りながら、お姉ちゃんが訊いてくる。

「オムライスだよ」

「そう。私あとちょっとで終わるけど、もしさーちゃんが帰ってきたら2人で先に食べてていいよ」

中3の妹・沙耶は、週3の水泳部に入っている。いつものように遅くなるらしく、お腹を空かせて帰ってくるのだろう。

2階に上がり、さっそくオムライスを作り始めた。静かなキッチンで、野菜を切る包丁の音が小気味良く響く。

ご飯を炒め始める頃、ようやく沙耶が帰ってきた。ちょうどお姉ちゃんもフラワーアレンジに一段落ついたらしく、三姉妹で食卓を囲む。

「いただきます」

「…んっ、おいし〜!」

沙耶が目を輝かせ、お姉ちゃんもうんうんと頷いた。

「真梨、日ごとに料理うまくなってるよね」

「ほんと? よかったぁ」

私たちには両親がいない。いや、正確には一緒に住んでいない。

お父さんは仕事の関係で、私が小学生のときから海外に長期赴任している。日本に帰ってくるのはお正月のときだけで、お母さんはよく寂しがっていた。そんなとき、お姉ちゃんがフラワーアレンジで脚光を浴びた。この姉なら妹2人を任せられると思ったのか、お母さんは私たちを日本に残して、お父さんの住む海外へ行ったのだ。

それから4年。最初は慣れないことばかりだったけれど、両親からの仕送りとお姉ちゃんの仕事で家計を支え、私と沙耶が家事全般をこなし、なんとかうまくやってきた。

「ねぇ真梨姉ちゃん。今度は鮭のムニエル作ってよ。私の大好物」

沙耶がもごもごと口を動かしながら言った。

「いいけど、沙耶も少しは料理覚えてね」

「わかってるー」

そう答えつつ、目が泳いでいる。

沙耶は、どうしたらそんなものが出来上がるのかっていうくらい、料理が下手だ。

「でも、ムニエルにかけるタルタルソースくらいは作れるもん」

「沙耶の言うタルタルソースはただのマヨネーズでしょ」

「ひどくない!? じゃあポン酢! タルタルよりはヘルシーだし! かけるだけだし!」

早口でまくしたてる沙耶。私たちのやりとりをおもしろそうに眺めていたお姉ちゃんは、「あっ」と何かに気づいた。

「なに?」

「さーちゃん、今日少クラあるんじゃないの?」

心臓が跳ねた。

「あぁ〜っ、忘れてた!」

沙耶は慌ててテレビを点ける。毎週やっているジャニーズの歌番組。

実は沙耶も"美 少年"のファンなのだ。夏菜子がうちに来たときは、2人で"美 少年"の話ばかりしている。ちなみに沙耶は那須くん、夏菜子はもちろん佐藤くんのファン。"なすりゅ"と呼ばれているこのコンビは、グループ内では人気が高いほうらしい。

『さぁ、続いては"美 少年"のパフォーマンスです!』

HiHi Jetsの髙橋くんが他のJr.達と共に曲振りをすると、一気に照明が落とされて、

「え、待ってJUMPのカバーじゃん!」

クラシック調の曲が始まり、観覧の女の子たちの悲鳴が上がった。

"光のないこの世界を"

岩﨑くんの横からセンターに現れた彼は、

"生きていく運命なんだろう"

のびのびとした歌声を響かせる。

私は、現実を受け止めきれないでいた。

テレビに出ている姿を見ると、今日のことが夢だったような気がしてならない。

ふと、沙耶が呟いた。

「いいなぁ、真梨姉ちゃん。近いところにいて」

その言葉に、一瞬戸惑う。

「近いって言ったって、そう簡単に会える人じゃないからね」

私はつとめて穏やかに答えた。

そして決めた。

『龍我はリフレッシュ方法なんかあるの?』

『アイス食べます。結構濃厚で、ちょっとお高いやつ』

番組のコーナーで先輩にいじられながら受け答えする彼は、やっぱり本物のアイドル。

図書館でのあの時間は、忘れるべきだ。

沙耶にも夏菜子にも話すまい、と。

 

 

 

…龍我side……

 

 

 

ベッドでうとうとしていたら、携帯が鳴った。時刻は午後11時。こんな時間に誰だよと思いながら見ると、菅野さんからLINEが入っている。

『今度のYouTubeはロケなので打ち合わせがあります。来週火曜日、昼12時からです。その日は学校を早退することになるので、お母様に連絡簿を書いていただいてね』

寝ぼけた頭で『了解です』とだけ打って送信すると、すぐに既読がついた。

『それから、台本が配られる前にロケ内容を把握するのはやめなさい。雄登には口封じをしておきました』

……怖い! 言い方が怖い!

一気に目が覚める。那須の安否確認でもしようかと携帯を弄ったとき、再び受信。果たして送り主はその本人、那須雄登だ。

『さっき菅野さんから釘さされちゃった。てへぺろ♡』

てへぺろじゃねぇよ……誰かさんのせいで本当に釘を滅多刺しにされたかと思っちゃったじゃん、嘘だけど。しかもアレだ、高3男子のくせに語尾にハートをつけるとか……引く。わりと引く。心の距離が30メートルくらいドン引く。

_ガチャ

そのとき、唐突にドアが開いた。

「…おにぃ、抱っこ」

プーさんのぬいぐるみを抱えた妹が、ドアの前に立っている。

「ん、どうした? 寝れないの?」

膝をついて背の高さに合わせてやると、妹はこくんと頷いた。よし、と抱き上げると、キャッキャと笑う。

「わぁ、たっかーい!」

さすがに小学1年生が11時まで起きているのはまずい。

両親はリビングでドラマを観ているし、那須のことはどうでもいいので、妹を寝かしつけるのは俺か弟の担当だ。

「ちょっとさー、なんか絵本とかないの? …ってお前も寝てんのかい」

4歳下の弟はうつ伏せになって既に夢のなか。体が冷えないように布団をかけ直してから、妹を隣に寝かせた。

「何がいい?」

「うーん…"おしりたんてい"!」

「好きだなー、それ」

本棚から絵本を出して読み聞かせを始めると、妹はすぐにうとうとしだした。

…可愛い。誰よりも可愛い。

今日は俺も、ここで寝ようかな。