【瞬 第11話 夢②】
…龍我side……
『私ね、ほんとに…龍我くんに出会えて、良かったと思ってるよ。…すごく幸せ』
微笑む真梨に愛しさが募る。
『うん、俺も幸せだよ』
目の前の笑顔が、
『真梨……』
…大好き。
「っ!」
目が覚めた。しんと冷えた空気が体をくすぐった。
また同じ夢か……
ため息をついて窓の外に目をやると、うっすらと白い雪が積もっている。
初雪が降ったあの日…12月17日から、1週間。
「…誕生日おめでとう、真梨」
机の上には、もう渡せない紙袋。
金指と一緒にプレゼントを買いに行ったときは、こんなことになるなんて思ってもいなかった。俺の誕生日も、君の誕生日であるクリスマスイブも、一緒にいられるんだと思っていた。
この1週間、胸の真ん中にぽっかりと開いた穴を埋めるように、ひたすら仕事に打ち込んだ。
…会いたい。そう思うのはもうやめた。
『おかけになった電話番号は、現在使われておりません』
あの日、携帯越しに聞こえた無機質なメッセージも、衝撃のまま送ったLINEのメッセージにいつまでも既読がつかないことも全て、理解した。
"真梨自身が"俺との関係を終わらせた。
情けない。俺だけが、いまだに未練がましく、彼女の連絡先を消すことができずにいる。
ただ繰り返す日々を、受け身に過ごす。
出会う前に戻った…ただそれだけなのに、真梨のいない日常は色をなくしていた。
「今日の本番も力入れて頑張ってこう!」
「はい!」
12月から始まった舞台"Johnnys' Island"座長の平野紫耀くんの声に、出演メンバーが盛り上がる。
「よっしゃ行くかー!」
胸にぽっかりと空いた穴を埋めるのに、仕事は最適だった。どんなに忙しいスケジュールでも構わない。勉強して、歌い、踊り、帰宅したら台本を読みながら疲れて眠る。ただ、真梨のことを忘れられる時間が欲しい……そしてそのまま時が過ぎて、気持ちが楽になるのを待つのだ。
「ちょっと、大丈夫…?」
金指が小声で訊いてきたけれど、「大丈夫、大丈夫」と笑った。
「"美 少年"売り出してこなくっちゃ」
俺には任されたポジションがある。グループの知名度を上げること。その使命があれば、そのためだけに、仕事に熱を入れられる。
もう二度と会えない。
これは終わった恋だ。
灰色の世界に、カサカサに渇いた色を塗るような、そんな日々が続いた。
そう、それは所詮…灰色であることに変わりなかったのだ。
「龍我」
舞台の合間の休憩中、台本を読み込んでいるとき、菅野さんに呼ばれた。
「はい、なんですか?」
ここ数日ですっかり慣れてしまったアイドルスマイルを浮かべて振り向いた俺に、菅野さんは無表情のまま淡々と告げた。
「ちょっと来なさい」
そして俺の腕を掴んでスタスタと歩きだす。
「え、ちょっと俺これ覚えなくちゃ…」
「その程度なら5分で覚えられる。今はそれより大事なことよ」
楽屋が並ぶ廊下の一番奥、"会議室"と書かれたドアを開ける。
ガチャンと音をたててドアが閉まると、大きくため息をついて、菅野さんは口を開いた。
「あなたに言っていいものか迷ったんだけど」
手元のファイルから1枚の封筒を取り出して渡される。
「…ファンレターですか?」
いつもなら、事務所にある個人ボックスから取っていくものだ。訝しく思いながら、目を通す。
『龍我くんへ。入所当時からずっと応援しています。…』
その字に既視感をおぼえた瞬間、文章を追っていた目が止まった。
「あなたはうまく隠してるつもりなのかもしれないけれどね。気づいてる方もいらっしゃるのよ。あなたの…"笑顔"に」
きつく張った糸が…切れた瞬間だった。
「時が解決してくれる…なんて、そんな甘いもんじゃないはずでしょう? あなたの恋は」
菅野さんは言った。
「ちゃんと向き合いなさい。向き合って…嘘のない笑顔でいられるように」
もう一度手紙を見つめた。
妹に似た、まるっこい字が、語りかけるように書かれている。
『おせっかいかもしれませんが、龍我くんに伝えたいことがあって書きました。あなたにはメンバーがいます。ファンがいます。みんなあなたの味方です。佐伯夏菜子』
冬休みの補習のために登校した日、授業が終わった後、俺は校長室に呼び出された。
金指を先に帰らせてから、ひとり校長室の前に立つ。
覚悟はしていた。
きっと真梨のことを言われるのだろう。
_ガチャン
重い扉を開くと、黒い革張りの椅子に座る校長と、目が合った。
「…なぜ呼び出されたのか、わかるね?」
俺は何も言わず、ただ校長を睨みつけていた。
明らかに答えの分かる問いかけに…答える必要はない。
「今日は、水瀬のことで…話しておきたいことがあって、君を呼んだ」
胸の奥に、杭が打ち込まれるように、鋭い痛みが刺した。
偽りの笑顔で固まりかけた血が、再びドクドクと流れだす。
今更なんだっていうんだ。
「言い訳に聞こえるかもしれないが」
校長はそう前置きした。
「彼女を確実に守る方法は、ひとつ。退学させることだけだったんだよ」
何を言いだすかと思ったら、本当に言い訳…円満な解決策という名の言い訳にすぎない。
「他に何かなかったんですか…」
思わず漏れた言葉が頭に響いたとたん、堰が外れた。
「他の方法! 何かあったはずだろ! 退学しなくて済む方法が! なんで、なんで…っ!」
まるで負け犬の遠吠えだった。情けなかった。
退学以外方法がないことなんて、考えずともわかる。
けれど、このときの俺に、そんなことを思う余裕などなかった。
「真梨が退学するなんて…聞かされないまま、気づいたときにはもう……せめて、せめてちゃんと、別れさせてほしかった…!」
感情は止まらない。怒りか悲しみかやるせなさか、ぐちゃぐちゃに混ざって黒く濁った感情が、次々に溢れ出てくる。
このときだけは、アイドルじゃなくて、1人の人間でいさせて。
吐き出した。今まで堪えていたすべてを。
校長は冷静な目で、俺を見ていた。
「そうか…君には何の相談も?」
「…は?」
なんだよ、いきなり。
「何の相談もさせずに退学させたのはそっちだろ!? 無理矢理別れさせられて…」
まくしたてた言葉は、あまりにも静かな校長の表情を前にしてこれ以上続かない。
この人はきっとわかっていた。ここに来て向き合えば、俺が散々に罵り抗議することを。気持ちが鎮まるまで俺に吐き出させ、それを当たり前に受け止めている。
「君に相談をしなかったのは、水瀬本人の意思だ。退学届を提出しに来たとき、そう言っていたよ。君に迷惑はかけたくないと」
落ち着いた口調で、まっすぐ俺を見る瞳は、静かな厳しさを湛えていた。
「水瀬は」
黙り込んだ俺に、彼は一呼吸おいて言った。
「君の夢を選んだ。君が芸能界で、"美 少年"として輝く夢を、優先させたんだよ」
図書館の前を通りかかり、思わず足を止めた。
冬休み。閉館時間を過ぎて、誰もいない図書館。
引き寄せられるようにセンサーに手をかざすと、音もなく開く自動ドア。
高鳴る鼓動を抑えながら、向かう足は…書庫に辿り着いた。
_ガチャ
古本のにおいに、胸が詰まった。
微かに舞う埃が鼻をくすぐり、むず痒さが目頭に込み上げた。
真梨と、一緒にいた時間。ここは2人の、2人だけの場所だ。
円形のテーブルに、1冊の本が置かれていた。
真紅の装丁の分厚い本。タイトルはない。
表紙をめくったとき、俺は息をのんだ。
本だと…思っていたそれは、ブックボックスだった。
四角く切り取られたスペースに、1本の万年筆と、小さなカード…
『龍我くんへ』
震える手で、万年筆とカードを取り出す。
胸に抱いたとたん、愛しさが喉元まで築き上げてきた。
「うわぁぁぁぁぁ!!」
床に膝をつき、俺は嗚咽をあげた。
真梨。
君を心から…愛してた。