ピの図書館

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【瞬 第1話 図書館③】

…真梨side……

 

 

 

「はい、連絡事項は以上です」

担任の岡野先生が、起立、礼の号令をかけると、教室は一気に騒がしくなった。

「真梨ー」と呼ぶ声がして振り向くと、テニスラケットを背負った夏菜子が立っていた。

「私部活だから。真梨は今日図書館?」

軽く頷くと、夏菜子は「じゃね」と手を振って他の部員たちと行ってしまった。麗華もバイオリンの習い事があるから、早々に帰っていったらしい。

さて、私はこれから、図書委員の当番で、司書仕事が待っている。

教科書で重いスクバを肩にかけ、図書館に向かった。

 

 

 

東城高校には、一般コースとトレイトコースを有する教室棟の他に、2コースの共用スペースである別棟が建っている。

その別棟の2階、体育館の真上に生徒会室と隣り合わせで設けられているのが図書館だ。

共用スペースだからトレイトコース生徒との遭遇率は高いと思われるかもしれないけれど、実は私はまだ見かけたことがない。

というのも、図書館じたいが広く、出入り口もカウンターも東端と西端に2ヶ所ずつあって、東端が一般コース、西端がトレイトコースで使い分けられているからだ。基本的に図書委員はカウンターにずっと座っているので、遭遇することはない。また、訳ありの学校なので先生の注意が行き届いており、芸能人目的で図書館に来る生徒はほとんどいない。

私が図書委員になったのは、もともと読書が好きなのもあるけれど、何よりこの雰囲気が気に入ったからだ。

人気校のため建て替えたばかりのこの高校のなかで、図書館だけは唯一改装されていない。なんでも新しくするのは良くないということで、ここは古さを残したまま、今も変わらず檜の香りを漂わせている。

図書委員になって2年。受験で忙しい3年生は委員会に入らないことになっているから、私はこの春に委員長になった。

「失礼します」

カウンター脇の司書室を覗くと、書き物をしている司書教諭が座っていた。大原咲先生。何もないところでつまづいたり階段で転んだりと、30代とは思えないドジっぷりで親しみが湧くのか、生徒は皆、サキ先生と呼ぶ。

「あら、今日は真梨ちゃんの当番だったの」

サキ先生はお気に入りの赤い縁のメガネを押し上げて、私を見た。

「はい、よろしくお願いします」

簡単に挨拶を済ませるとカウンターに戻り、本を借りる生徒が来るまで読書をして過ごす。西日の射し込む放課後の図書館、ゆったりとした、この時間が好きだ。

 

 

 

…龍我side……

 

 

 

コツコツと音が響く。そっと顔を上げると、俺の向かいに座る金指は真剣にシャーペンを走らせていた。

…話しかけないほうが良さそうだ。

俺たち2人は、高校の宿題はなるべく家に持ち帰らないようにしている。放課後、仕事がなければ図書館内の自習室でこなす。家に帰ってやることは、食べることと寝ること、そして芸能活動のほうの"宿題"(歌とダンスの練習とか台本を読むとか)。家でしかできないことをすると、いつのまにか寝る時間になってしまうのだった。

自習室は、2席ごとにパーティションで区切られており、狭いスペースで数人の生徒がこつこつと勉強していた。集中力は高まるし、何より俺たちにとっては、あまり顔を見られない、絶好の勉強場所だ。

今日の宿題は、古典文法のプリントだ。さっき習ったばかりだから楽勝かと思いきや、いきなり応用問題が出されて悪戦苦闘している俺に対し、金指はすいすいと問題を解いていく。

わかるのかよ…わかるのか、わかるんだな。単純に脳みその出来が違うんだろう。彼は神木の次に頭が良い。

「…はぁ、終わった」

「マジかよ」

思わず漏れた呟きを、金指は聞き逃さなかった。

「…全然進んでないじゃん」

「うるさいな。わかんないもんはわかんないの」

近くにいた生徒がチラッと振り返った。声のない牽制を受けて、慌てて声を潜める。

「教えてくれない?」

那須に頼んで」

「何それ。…え、てか帰るの?」

金指は立ち上がって片付けを始めた。

「だって俺宿題終わったしそろそろ閉館だし。わかんない箇所は明日教えるよ」

そう言ってさっさか自習室を出ていってしまう。

「…あ、待って」

金指といるといつもこうだ。良く言えば我が道を突き進む人で、悪く言えば自己中。

机上に広げていたものをスクバに押し込み、"館内は走らない"と書かれた掲示板の前を思いきり走り抜けて図書館を飛び出すと、金指の姿は既に廊下の先に消えかけていた。

「おい待てって! …あっ!」

俺の悲痛な叫び声に、金指はやっと振り返った。

「どうしたの?」

「借りてた本…返すの忘れてた! 締め切り今日なんだよ! あ、これ!」

すばやく本を抜き取ってスクバを放り投げる。金指がキャッチするのを見届けると、すぐに引き返した。これで彼は俺を置いて帰れない。

「え、ちょっと! 龍我!」

お互いがお互いに振り回される。それが俺たちの関係だ。

 

 

 

…真梨side……

 

 

 

「真梨ちゃん」

軽く肩を叩かれて振り向くと、サキ先生が立っていた。

「そろそろ閉館だから、ここにある本を戻してきてくれる?」

「わかりました」

カウンター脇の荷台には、 今日返却された本が積まれている。それらを本棚に戻すのが、当番の最後の仕事だ。

荷台を押して、広い館内を巡り始めた。

 

 

 

…龍我side……

 

 

 

図書館に飛び込むと、西端カウンターに人はいなかった。

「まじか…」

返却時間はとっくに過ぎている。司書は帰ってしまったのか、司書室の電気も消えていた。

手元の本に挟まれたしおりを取り出す。返却締め切りは、間違いなく今日。

…やばい。

東城高校は規則に厳しく、守らなかった生徒は有無を言わさず内申点を落とされる。それは図書館で借りた本も例外ではなく、つまり今日中に返却しなきゃまずいってことだ。

カウンター前でうろうろしながら考えていると、ひとつ、打開策を思いついた。

俺は僅かな期待を込めて背伸びした。遠くに一般コース生徒用の東端カウンター。カウンターは無人だ。ということは、図書委員の生徒は帰ったのだろう。その奥の司書室を見やると、まだ電気がついていた。司書教諭はいるのだ。

ラッキーかもしれない。

カウンターが東端だろうが西端だろうが、本を返却すれば結果オーライだ。しかも、一般コースの生徒である図書委員に見られることはない。

俺は急いで東端カウンターに向かった。

 

 

 

…真梨side……

 

 

 

(…F913。あった)

本棚の一番低い段に最後の本を戻して、私は立ち上がった。

本日の仕事は終了。一息ついて荷台を押そうとしたとき、ふいに、忙しい足音が聞こえてきた。

一瞬サキ先生かと思ったけれど、足音は明らかに東端カウンターのあるほうと反対側から聞こえてくる。

まだ誰かいたのかな。

気になって、本棚から顔を出したそのとき。

…目が合った。

こちらに向かって走ってきた男子生徒がいた。

相手もびっくりしたように立ち止まる。

私は、固まっていた。

だって、今、目の前に立っている生徒は…

 


佐藤龍我。その人だったから。

 

 

 

…龍我side……

 

 

 

数秒の沈黙が、辺りを支配した。

本棚の影からふいに現れた小さな顔が、俺を見つめていた。

ロングヘアーの女子生徒。

図書委員の生徒なのか…? まだ帰ってなかったのか…?

驚きと疑問とが頭のなかでごちゃ混ぜになり、俺は呆けたように突っ立っていた。

先に動いたのは、彼女のほうだった。目を瞬かせ、ふっと短く息を漏らすと、

「まだいたんですか」

落ち着いた声音で問いかけてきた。

「…あっ、返却。今日中に返却しなくちゃいけなくて、この本」

我に返って慌てて答えると、彼女は髪を揺らして少し笑った。

「遅れたんだ」

「…笑うなし」

自然と、ぼそっと呟く。敬語をやめたのは、お互いにおそらく同学年であることを確信したからだ。

「ここで受け取るね。内申落とされたくないでしょ?」

「…あ、ありがとう」

「どういたしまして。でも、今度からは気をつけて」

彼女はぺこんと頭を下げると、荷台を押して戻っていった。

「…ふぅ」

息をついた。今になってやっと、自分がずっと緊張していたことに気づいた。

一般コースの生徒と話したのは、初めてだった。

いや、たまに追っかけみたいな生徒から一方的に話しかけられることはあったけれど、その会話には俺と話して付き合いたいという計算がありありと見えて、とてもじゃないけど居心地の良い時間ではなかったから。

しかし、彼女の声に、そんな図々しさは全く感じなかった。動揺する素振りも見せなかった。

俺のことを知らないのか。知っていたとしても、ファンではないのか。だから普通に話せたのか。

ジャニーズという仕事上、必要以上に女子と仲良くするのはご法度だ。しかし、いくら女子との会話に慣れていないからって、あんなに緊張することはない。

しいて言えば、彼女が纏っていた雰囲気。静かな雰囲気が、今までに出会ってきた女子とは違ったのだ。

俺を見て、少し笑って。…その笑顔は、太陽が射したような満面の笑みじゃなくて、カスミソウが夜中こっそりと花開いたような顔で。

見たことのない笑顔だった。

色目を使わない、純粋で、綺麗な…

ふと、今頭のなかに浮かんだ、綺麗、という言葉が引っかかる。

慌ててそれを打ち消した。

そして、たった数秒の会話でここまで考えた自分にぞっとした。

俺は、ジャニーズだ。

そう言い聞かせて、足早に図書館を去った。

 

 

 

…真梨side……

 

 

 

今になって、心臓がバクバク鳴り出した。

佐藤龍我に、会ってしまった。面と向かって話してしまった。

テレビのなかの人が、目の前に立っていた。…普通の、男子高校生みたいに。

いや、男子高校生なんだけど、同じ学校といえど私とは遠い人だと思っていたから。

それなのに、私は。

『まだいたんですか』

真顔で話しかけ、さらに、

『遅れたんだ』

と笑ったのだ。

あのとき、なぜ普通に話せたのかわからない。わからない…けれど。

ふと、おとといの美tubeが脳裏によみがえる。

『俺だけ見てろよ』

赤面もののセリフを、恥ずかしげもなく堂々と言ってのけた人の姿が。ライブで大勢のファンを目の前にして、いかにも女子の扱いには慣れているような人が。

…そこにいた。

「どうしたの、真梨ちゃん」

サキ先生が私の顔を覗き込む。どうやらぼんやりしていたらしい。

「…いえ、なんでもないです。お疲れ様でした」

さっきのことは忘れよう、と思った。別にファンでもない。一般コース生徒の芸能人への対応としては100点満点だったはず。

同じ学校にいれば、偶然出会ってしまうこともある。ただそれで納得していたんだ…そのときは。

 

 

 

もしも出会いがこのときだけだったなら、きっと私たちは、

…恋には落ちなかった。