【瞬 第2話 偶然②】
…真梨side……
それは突然やってきた。
いつものように放課後に買い物してから帰り、夕飯を作っているとき。
_プルルルル
電話が鳴った。
「はい、水瀬です」
手が離せなかったので、子機を取る。知らない番号からだ。営業だったら適当に理由をつけて切ろうと思ったけれど、電話の向こうの第一声が私の手を止めた。
『もしもし野村ですが、水瀬恵美さんはいらっしゃいますか?』
野村さん…お姉ちゃんの知り合いだろうか。何かの出演依頼かな。お姉ちゃんは有名になってから、ときどきテレビにも出るようになっていた。
さて、そんなお姉ちゃんは、今日は朝からフラワーアレンジの講習会に出かけてしまっている。
「いえ、今はおりませんが、私でよければ用件お伺いします」
『わかりました。YouTubeのジャニーズJr.チャンネルはご存知ですか? そのなかの"美 少年"というグループのスタッフの者です』
その瞬間、比喩でなく、息が止まった。
『今度、当チャンネルで"フラワーアレンジを学ぼう"という企画が持ち上がっておりまして、そちらに取材をさせていただきたく…』
グツグツ、グツグツ。
おたまをかき回しながら、私はぼんやりと考えていた。
どうしよう。
どうしたらいい。
自分が何に思い悩んでいるのかすら、わからなかった。
普通にしていればいいのに。
ミネストローネのいい香りが鼻をくすぐる。
おおまかに言われたことは、企画の趣旨。"出演者がフラワーアレンジ体験をする"というものだった。細かい内容は、お姉ちゃんがいるときにまた電話してくれるらしい。
だから、ただ、お姉ちゃんにさらっと話せばいいだけなのに。
佐藤龍我。
彼の存在が、私の気持ちを戸惑わせていた。
お姉ちゃんに何も言い出せないまま、結局その日のうちにまた野村さんから電話があった。
お姉ちゃんは、もちろん取材許可を出した。詳細を聞いた沙耶は飛び上がって喜んでいたけれど、私はただ「よかったね」としか言えなかった。素直に喜ぶべきことが、重苦しく感じる。
ただ、ひとつ牽制された。
「那須くんたちがうちに来るのは午前中で、2人とも学校だから会えないみたいよ」
「えー、そうなのぉ?」
沙耶があからさまに残念がる。ファンだもんね、那須くんの。
「でも確実に来るんでしょ!? お姉ちゃん絶対握手してね! その手絶対洗わないで! 私が帰るまでそのままにしといて! ね!」
…このとき、佐藤龍我と会ったことを話さなくてよかったと、心から思った。午前中にロケに来ることが何よりの救いだ。きっと向こうは私のことなんて忘れているだろうけど、私のほうが気まずくなってしまう。できれば、もう二度と面と向かって会いたくなかった。
「それから」
お姉ちゃんは一呼吸ついた。
「このこと、学校の友達には話さないで。特に真梨」
急に呼ばれてビクッとする。
「東城高校では、誰が聞いているかわからない。情報には細心の注意を払ってくださいと言われたわ」
「わかってる。言われなくてもそうするつもりだから」
お姉ちゃんがフラワーアレンジ業界のトップアーティストであることを知っているのは、学校では夏菜子と麗華だけだ。あの2人ならわかっても仕方ない。ただそれもYouTubeに動画がアップロードされた後なら良いということで、ロケする日にちや時間は絶対に教えるなということだった。
「というわけでよろしくね。ごちそうさま」
お姉ちゃんは立ち上がり、完食したミネストローネのお皿をキッチンに持っていく。テンションが上がってご飯が全然進んでいない沙耶を急かしながら、私は考えていた。
もう、悩むのはやめよう。私はいつも通りにしていればいい。
これが、最後の"偶然"になるだろうから。
しかし、図書館での出会いが、私にとって衝撃的すぎたかもしれない。運命のあの日まで、神様は彼を忘れることを私に許さなかった……。
…龍我side……
打ち合わせというのは、案外短く終わるものだ。
重要な会議ではないし、台本が配られて簡単に概要を説明されるだけだから、だいたい5分程度で終わる。
ただ、今日は違った。久しぶりの屋外ロケだからかもしれない。バス移動におけるアクシデントを想定して、数コース用意されていたため、本来ホチキス留めのペラ紙の厚みが倍近くなっていた。よって内容も濃い。たっぷり30分かけて読み合わせ、メモをとる。そうしてようやく解散というところで、1人のスタッフがおずおずと手を挙げた。取材先への徹底したリサーチで、"探偵くん"と呼ばれている人だ。
「…実は、ひとつ問題が」
「なに?」
Jr.チャンネルプロデューサーの本田さんが訊く。
「今回お伺いするのは、フラワーアレンジ業界トップ、水瀬恵美さんのお宅です。取材にあたって家族構成を伺ったのですが、恵美さんと妹2人で、3人暮らしのようです。それで念のため、妹2人の職業も伺いました」
「また君はそんな余計なことを…でも、それの何が問題なんだ?」
本田さんが半ば呆れ気味に続きを促すと、スタッフさんはちらっと俺たちを見た。そして口を開く。
「上の妹が、東城高校一般コースに通う2年生です」
一同がどよめいた。
「それは本当?」
横から菅野さんが口を挟む。
「はい。なので、その、ちょっと…」
スタッフさんは急に言いづらそうに下を向いた。
そういうことか。
問題は、水瀬さんの妹が東城高校に通っているという点。コースは違えど、金指や俺と同じ高校の同学年である。それによって起こる弊害。
ようは、たったこれだけのことなのに妙な勘繰りをする人が出ることを、懸念しているのだ。
「まさか、ねぇ…。まぁ急遽、企画変更も視野に入れて…」
本田さんは顎をさすって考え込んだ。場が静まり返る。隣で金指が小さくため息をついたのが聞こえた。
「あの…」
俺はおそるおそる手を挙げた。
「それでも良くないですか」
「え?」
こういうことも、いつかあるんじゃないかと思っていた。だって俺たちはまだメンバーの大半が学生だから、偶然が重なってしまうことだってきっとある。
でも俺は、そんなくだらない理由に捉われて、仕事内容を歪めるようなことはしたくない。
「俺も…いや、僕も龍我に同意で!」
向かいに座る浮所が、力強く後押ししてくれた。
「取材先は水瀬恵美さんでお願いします! だってトップアーティストですよ? 普段滅多にお目にかかれない作品を間近で見たいし、作ってみたい。そうしてファンの皆さんに、その楽しさを伝えたい。番組って、そういうためにあるんだと思います」
みんな唖然として、俺たちを見つめている。
いち出演者が何を言ってるんだ。ただ遊びたいだけだろう。尻拭いは誰がすると思ってるんだ。
スタッフさんの心の声が聞こえてきそうだった。
しかし、楽しまずして、それが収録と言えるのだろうか。一応仕事ではあるが、精一杯楽しみたいといつも思う。前に金指が言っていたように。
そんななか、本田さんがふむと頷いた。
「…まぁ、そうだな。変更はしない。ただ、細心の注意を払ってください。どこで嗅ぎ付けられるかわかりませんから」
以上、と告げると打ち合わせは終了。スクバに台本をしまいながら、「あんなこと言うなんて珍しいじゃん」と大昇が呟いた。
「いつも訳わかんないことばっか言ってる龍我にしては上出来じゃないの」
「それ褒めてんの? それともバカにしてる?」
藤井くんに突っ込むと、ニコッと笑って受け流される。ふざけんなよー、と返しながら、6人揃って会議室を出る。
このときはまだ、知らずにいた。
これから先に、予期しない"偶然"があるなんてこと。
いよいよ、収録日がやってきた。
学校は休むことになった。今日は土曜日だから、授業は4時間で終わる。午前のロケでは間に合わないだろうから、ということだった。
また、勉強が遅れちゃうな。
そんなことをチラッと思ったりもしたが、何より俺は今日のフラワーアレンジ体験が楽しみで仕方なかった。
メンバーとロケバスに乗り込み、水瀬さん宅へ向かう。その道中の車内から、カメラは回されることになっている。準備がととのい、スタッフさんがカウントを始めた。
「3、2、1、キュー」
「さぁ始まりました! 美tube!」
浮所が号令をかけ、いよいよ収録開始だ。
…真梨side……
昼休み。
いつものように夏菜子たちとお弁当を広げたけれど、私は完全に聞き役に徹していた。朝から同じことばかり考えていたから。
今日は、美tubeの収録日だ。今頃お姉ちゃんは"美 少年"のメンバーに会って、フラワーアレンジを教えているのだろうか。それとも、もうお昼だから、収録は終わったのだろうか。
ひとつ予想外だったのは、今日が午前授業日だったということだ。こういう日は、4時間目の後にすぐ終礼がある。放課後は、すぐ帰る人と、お弁当を食べて部活に参加する人に分かれる。夏菜子はテニス部、麗華は華道部、私は図書当番があるから、みんなお弁当組だ。
彼に会わないことは確実だった。
あれこれ考えていたら、いつの間にかお喋りが耳に入ってきていなかったらしい。
「…ねぇ真梨、聞いてる?」
「あ、ごめん。…なんだっけ?」
「もう、ちゃんと聞いててよー。私ね、少クラ当たったんだよ」
「えっ!」
突然の話題に、心臓が跳ねる。
「…どうしたの? 真梨らしくない大声あげちゃって」
「あっ、いや…すごいなーって思っただけ…」
慌てて動揺をごまかす。夏菜子は「でしょ?」と嬉しそうに笑った。
「それで、うちら3人で行かないかって言ってたんだけど…ダメ?」
顔を寄せて、ちょっと遠慮がちに囁く。たぶん、私がファンじゃないことを気にしてるんだ。
でも、確か少クラって本人じゃないと入れないんじゃなかったっけ。必然的に行くことになるのでは…
昨年末、沙耶がお姉ちゃんと私のぶんのFC名義を勝手に作っていてビックリした思い出がある。だから家族揃って会員だけど、それでも倍率が高すぎて当たったことはないのが現状。
「ねぇ行こうよ、たぶん一生に一度だよ! 1回ナマで見て、あわよくばファンになってほしいんだけど」
黙ってしまった私に、夏菜子はそう付け足した。
「…うん、私行くよ」
「ホント? ありがとう!」
夏菜子が私に抱きつき、麗華は呆れたように「暑苦しい」と牽制した。そういえば麗華はもうFCに入ったのか、いつの間にかすっかり金指くん担になってしまったようだ。
私はぼんやりと考えていた。
佐藤龍我…彼の、アイドルとしての姿を、この目で見ることになるとは。