ピの図書館

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【瞬 番外編①エピローグ〜未来】

…真梨side……

 

 

 

「…久しぶり。真梨」

目の前の光景。あまりにも信じがたいその光景に、時が止まった…ような気がした。

白い光のなか、その人は幻のようにそこに立っていた。

私に笑いかけながら。

忘れるはずないその瞳。

「…龍我くん…?」

彼は小さく頷いた。

ねぇ、どうして。

どうしてあなたがここにいるの。

 

 

 

…龍我side……

 

 

 

迷った。

正直、すごく迷った。

金指に渡されたメモに書かれていたのは、都会の外れの図書館の名前だった。

彼がなぜ知っていたのかって、あのとき、そんなことを訊く余裕なんてなかった。

ただ、心は揺れた。

真梨と会っていいのか、迷った。

彼女のことを考えると、6年前の思い出がよみがえる。

無理矢理封印した想いが、胸の奥を小さく叩いた。

…会いたい。

久しぶりにオフの今日、電車を乗り継いで、この図書館を訪れた。

まだ建てられたばかりだという。本の匂いのなかに、新鮮な檜の香りが混じっていた。

カウンターは無人だった。そう、初めて出会ったときと同じように……

そこには、カーネーションを挿した花瓶だけが置かれていた。いつだったか、花言葉は"無垢で深い愛"だと、教えてくれたのは真梨だったっけ。

…予感がした。

本棚を見て廻り、君を探した。

真梨はきっとここにいる。

人の気配がした。ひとつ向こうの本棚の裏。

俺は静かに息を吐いて、一歩を踏み出した。

 

 

 

「すごく…びっくりした」

クラシックのBGMが流れる店内で、真梨は小さく息を吐いた。

仕事が終わったら会おう…と約束して、待ち合わせた夜遅くのレストラン。

照明が落とされて薄暗いこの席からは、東京の夜景が一望できた。

「でも…嬉しかった」

6年前よりさらに大人びて、落ち着いたその姿。

けれど、ふわりと頬を緩ませる、その笑顔は、あの頃と変わらず……

「なんか…夢みたい」

真梨が呟いた。

「…この光景も、私たちが、今ここにいることも」

胸が小さく鳴った。

時間を永遠に繋ぎとめておくことはできない。この一瞬…ほんの瞬きですら、息苦しいほど大切なものなのに。

だから、なのだろう。

「…今日は、ありがとう。ごちそうさまでした」

「いや、こちらこそ。久しぶりに会えて……」

夜道の真ん中で、別れようとした言葉が続かなかった。

「…真梨」

胸のなかで抑えつけていた何かが顔を出し、俺は彼女の腕を掴んでいた。

「…まだ、一緒にいたい」

 

 

 

…真梨side……

 

 

 

「わ、すごい…」

夜でも明るい大通りから少し入った静かな路地に、ひっそりと佇むタワーマンション

18歳、彼が高校を卒業してすぐ引っ越したというそこは、今の私でも到底手に入らないような高級マンションだった。

「…行こう」

龍我くんは、マンションを前に立ちすくむ私の腕を促すように引っ張った。

「…うん」

広いエントランスを抜け、エレベーターに乗り、最上階のボタンを押す。上昇する狭い空間で、自然と高まる鼓動。私たちは、まったく口を開かなかった。

部屋の前に着くと、彼はカードキーをかざした。ガチャン、と解除されるロック。ホテルみたい。

「…どうぞ。入って」

「お邪魔します……」

暗い玄関に一歩踏み入れる。

_バタン

ドアが閉まる音が、暗闇にやけに大きく響いた……

そのとたん、ぎゅっと背後から抱きしめられる。

「真梨…会いたかった」

甘く切ない声で、彼は言った。

「ずっと…あの日からずっと…会いたかった……」

耳元で囁かれた言葉に、私は体中が熱くなるのを感じた。

「私も、…会いたかった。龍我くんのこと、忘れられなくて……」

あなたのことを、忘れた日なんてなかったよ……

あの日、あまりにも唐突な別れ方をしたから。現実を知るしかなかったから、無理矢理抑えつけた涙は、ただ冷たくて苦しくて。

けれど、今流れる涙は、あの日よりもずっと温かくて…とめどなく溢れていく。

龍我くんは、私の体をそっと反転させた。

涙に濡れた瞳が閉じて、私の唇に熱が落ちる。

「っ…」

それはもうあどけないものではなくて、すっかり大人のキスで。

「…ん…ぅ…」

顔の角度を変えて、絡められる舌に息ができない。

苦しくなって、龍我くんの胸板をたたくと、彼はやっと唇を離した。

「いつからそんな甘い声出すようになったの…俺もう我慢できないよ」

余裕のない声に、心臓がドクンドクンと脈打つ。

龍我くんは自分の上着をさらりと脱いだ。そして、私のカーディガンのボタンも、ひとつ、ふたつ…外していく。

そのまま導かれるように、ベッドの縁にそっと押し倒された。膝の下に腕を差し入れて、お姫様抱っこして体勢を整える。

彼は、男の子ではなく、男の人になっていた。

夜空のように黒く澄んだ綺麗な瞳。すぅっとした爽やかな香り。龍我くんのぬくもりを思い出す。

「真梨…愛してる」

熱い息を吐いた唇が、再び重なった。

呼吸するたびに感じるのは、流れ続ける時間。

過ぎ行く時の短さを思いながら、その一瞬を刻みつけるように、私たちは愛し合った。

 

 

 

…龍我side……

 

 

 

「あなたは、まったく…大胆なことをしたものね」

菅野さんは笑いながら、やれやれと呟いた。

「マネージャーを通さずに社長に直談判するなんて…前代未聞よ」

「あはは、すいません」

「でも、あなたらしいわ。社長には何て言われたの?」

ティーカップに口をつけて、長い息を吐く。

「契約が切れたから、あとは好きにしろって言われました」

「それで、好きにしたってわけね」

菅野さんはフッと笑った。

「時が経つのは早いわね。あれからもう10年か…」

憂いを帯びたような瞳が、遠くを見つめている。

 

 

 

『10年契約だよ、龍我』

思い出したのは、社長の一言だった。

17歳、あの頃の俺。

真梨と別れた…その大元の理由である場所に呼び出されたとき、俺はこれからされるであろう叱責の数々を思い浮かべていた。

処分ではなく、叱責。

この程度で、グループ脱退はありえない。たとえ望んだとしても、させてくれないだろう。

17歳。デビュー前、ジャニーズJr.としては一番"おいしい"時期なのだから。

別にそんなひねくれた考え方をしなくたって、俺には夢を切り捨てるなんてできなかった。

この世界で生きていくと決めたんだ。

『…泣いたそうですね』

開口一番、社長はそう言った。

"男としてみっともない"

そう言われている気がして、思わず頭を下げた。

『申し訳ありません。軽率な行動でした』

『勘違いしないでもらいたいけど、僕はそんな形式的な口上は求めていないよ』

思い浮かべていた謝罪の言葉は、彼に遮られた瞬間、頭からとんで消えてしまった。

前社長の椅子を継いで数ヶ月。俺と同じようにアイドルとして生き、今は第一線を退いて後進の育成にあたっているその人の目には、強い光があった。

『ひとつ、契約をしましょう』

それは思いがけない提案だった。

 

 

 

10年契約だよ、龍我。

これから先…今までの何倍も努力して、必ず結果を出すこと。

27歳になったとき…まだ、彼女が君を好きでいるなら、君が彼女の傍にいたいと思うなら、そのときは…好きにしなさい。

 

 

 

どんな気持ちで、どんな考えで…社長があんなことを提案したのか、あのとき俺にはわからなかった。

年の離れた兄のような、独特な包容力を持つその人は、最後にこう言った。

『奇跡を信じない者に、奇跡は起きないからね』

 

 

 

今ならわかる。

4年前、俺は万年筆に隠された真梨からのメッセージを見つけた。そしてほぼ同時期に、金指は真梨の職場を知った。

17歳、偶然と偶然が引き合わせたあの出会いが、4年前の奇跡を生み出したんだと。

そして、先輩でもある若社長は…彼は10年前から、こうなることを予見していたのかもしれない。

 

 

 

_コンコン

扉の向こうから、ノックが聞こえた。

「どうぞ」

声をかけると、ガチャ…とおもむろに扉が開いた。

「佐藤様、お時間です」

「…あら、もうそんな時間」

宙を見つめていた菅野さんの瞳がふと壁の時計をとらえ、彼女は立ち上がった。

「じゃあ、私はお先に失礼するわね。しっかり務めてきなさいよ、…新郎さん」

 

 

 

10年。

長いようで…短かった。

いや、やっぱり長かった…かな。

悲しい別れも経験したけれど、また出会って恋をして、そうして迎えた新たな人生の門出の日。

ふぅ、と息を吐きながら歩を進める。天使の飛び交う繊細な彫刻が施された扉の前に、君が立っていた。

…ウェディングドレス姿で。

「…龍我くん」

耳をくすぐるような声。

カスミソウのブーケをキュッと握って、彼女は少し緊張しているみたいだ。

隣に立つと、その手が優しく俺の腕に添えられた。

「…行こう、真梨」

厳かに鐘が鳴り、扉が開いた。

 

 

 

あたたかな日射しが降り注ぐチャペル。

祭壇の前で、真梨は泣き笑いのような表情で俺を見つめて、ふわりと微笑んだ。

"必ず君を幸せにします"

あの日、幼心に書いた詩が、胸をくすぐった。

泣いてばかりだった17歳の自分に、27歳になった俺は今どんな言葉をかけるだろう。

夢を叶えて…大切な人を、やっと迎えに来ることができたよ。

その瞳を、その笑顔を、守ってみせる。

これから先も、ずっと。

「You may now kiss the bride.」

愛しい君を瞳いっぱいに閉じ込めて……

春の空の下、"瞬き"は"永遠"に変わった。