ピの図書館

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【瞬 第7話 告白②】

…橘side……

 

 

 

「え……?」

思いがけない言葉に、私は顔を上げた。

あんなひどいことを言ったのに、ありがとうなんて…

「橘さんの言葉は、確かにあの2人を傷つけた。けど…俺は、龍我の脇の甘さも、問題だと思ってる。橘さんはそれに気づかせてくれた。だから、ありがとう」

金指くんはまっすぐに私を見ていた。

「今日のことは、2人が関係を考え直す機会になると思うんだ。そこで2人がどんな結論を出すかはわからない。でも橘さんには、見守っててほしいなって」

その言葉に私は頷いて、目を閉じた。

目の裏に浮かんだのは、佐藤くんの笑顔だった。あのとき、慰めて勇気づけてくれた顔…その笑顔に、私は誓った。

今度は…道を踏み外さない。

感情を、履き違えたりしない。

_キーンコーンカーンコーン

「授業が始まるよ。急ごう」

金指くんが軽快に走り出す。

私は立ち上がり、お尻についた砂を払った。

「…ありがとう、金指くん」

彼は振り向き、にこっと笑った。

謝ろう、と思った。教室に行ったら、佐藤くんに謝ろう。

私はこの恋に終止符をうつ。

涙は拭いて、守らなくちゃいけないものを守ろうと思った。

 

 

 

夏菜子side……

 

 

 

授業中、あたしは幾度となく斜め後ろを振り返った。

…大丈夫かな、真梨。

「おい、どうしたんだよ」

隣の席の松井克也が小声で訊いてくる。

「別にぃ」

「別にっておまえさっきから後ろ向いてばっかだし…何? 後ろになんかあんの?」

「あんたには関係ないでしょ」

「こら、そこ。うるさいぞ」

数学の伊藤先生があたしたちを睨む。すいませんと舌を出した。

「…あんたのせいで怒られたじゃん」

「はぁ? なんでそうなるんだよ」

「余計なお世話だっつーの」

「おい何度言ったらわかるんだ」

先生がまたもやこっちを見る。

「よし、松井。お前この問題解いてみろ」

「うぇぇーっ、先生それはないっすよ! 夏菜子だって同罪じゃないすかぁ!」

「佐伯は勉強できるからな。お前は赤点補習組だろ? 学級委員のメンツが立たんぞ」

「ざんねーん。はい、行ってらっしゃーい」

背中をバンと叩くと、克也はあからさまに嫌がりながらも立ち上がった。

「え、わかんねーんですけど」

黒板の前に出たはいいものの、チョークを持って固まる姿に、クラスメートは爆笑。

「お前はちゃんと人の話を聞け…」

先生も眉間に指をあて、もう一度同じ説明を始める。

いつもの光景だ、いつもの。

あたしは、今度はそっと後ろを振り返った。

あたしから見ると8時の方向…窓際の一番後ろの席に、真梨が座っている。穏やかな表情で黒板を見つめる瞳は、いつもと変わらないように見えた…今朝のことがなければ。

 

 

 

真梨はいつも一番乗りだった。

毎日、文庫本を読みながらクラスメートを待ってくれている。やわらかい朝の日射しのなかで読書する姿は、なんというか、すごく似合っていた。

それが毎朝目にする光景だったから、たまにあたしのほうが早く教室に着いたりすると、調子が狂うような、変な気持ちがする。

今朝、真梨はやはり一番乗りだった。

しかし珍しく…彼女は机に突っ伏していたのだった。大好きな本を開かずに。

寝ているのかと思ったけど、親友に挨拶をしないと1日が始まらないような気がして、小声で呼びかけた。

「やっはろー…真梨?」

「……ん。あ…夏菜子。おはよう」

真梨はスッと起き上がって笑顔を見せた。その目はなんだか赤みを帯びているように見えた。まるで泣いた後みたいに。

「…あ、ハム太郎のエサ替えてない」

立ち上がりかけた真梨を、あたしは慌てて手で制した。

「いーよいーよ。本来うちの仕事だし」

「…ごめん、よろしく」

そう言うと真梨はゆっくりと座った。そして本を開くでもなく、ただ窓の外をぼんやりと眺めていた。

いつもなら喋るのに、会話が続かなかった。エサを替えている間も黙ったままだった。黙ったほうがいいかもと思った。

あんなに完璧に見える真梨にだって、悩み事のひとつやふたつあるのかもしれない。そうだよね、と頷くと、手に乗せたハム太郎がキチキチッと鳴いた。

 

 

 

…真梨side……

 

 

 

生きていくなかで、人はどれくらいの出会いを繰り返すんだろう。ときに人生を狂わせるほど大きな出会いとなることもあるのだということを、私はこの恋で身をもって知った。龍我くんと出会ったことで、私の周囲が変わり始めたのだ。

その変化の序章…

『明日、書庫に来て。話したいことがあるから』

龍我くんからのLINEに、私は一瞬返事に迷った。

 

 

 

ベッドに寝転がって、白い天井を見つめる。

今日あったことを整理するのに、しばらく時間がほしかった。

「お姉ちゃん、ご飯ー」

ドアの向こうで沙耶が呼んでいる。

時計を見ると、もう6時半だった。重い体を持ち上げて、私はドアを開けた。

「ごめん、今から作るから」

「え、今から? もうお腹ぺこぺこ」

「うん…ごめん」

リビングに行くと、沙耶はさっそくテレビを点けた。

今日はムニエルにしようかと冷蔵庫から鮭のパックを取り出したとき、

『今日のゲストは、今話題の大人気女優、立花なつみさんでーす!』

陽気な司会者の声に、私は思わずテレビを見た。

「あ、ナッツだー」

彼女の主演ドラマを観ていたお陰で、気になったのか沙耶が音量を上げる。

生放送の番組だから、今まさに彼女は仕事の最中というわけだ。立花なつみ…橘菜摘は、今朝初めて会ったときと、受ける印象がずいぶん違った。

シルバーのラメが散りばめられたハイヒールを履いて、タイトな白いワンピースを着こなしている。とても同学年とは思えない。はきはきとした受け答えもノリの良さも、芸能人の立ち居振る舞いだ。

そして彼女はよく笑う。"元気で明るいキャラ"を作っているのかもしれないけれど、こういうのが業界に好かれる柄なのだろう。それは彼女自身も自覚していて、いくぶん余裕のある"ナッツスマイル"だった。

『水瀬真梨さん』

『ここに来ると思ってた』

あのとき、彼女は確かにそう言った。

どうして知っていたんだろう。私の名前も、秘密の場所も。

『所詮、顔目的なんでしょ』

私は画面から目を逸らした。直視したくなかった。彼女の笑顔を見たら、"裏の顔"が余計際立ってしまいそうで。

わるい人とは思わない。

『どういうつもり?』

あれは当然の指摘だ。恋愛禁止のアイドルと付き合うなんてどういう了見なのかと、そういう意味だろう。

だから、どちらかというと、こわい人…だと思う。

この笑顔が、"本当"とは限らない。

龍我くんと出会った頃のように、私は橘菜摘を錯覚しているのかもしれない。

 

 

 

翌日。

_ガチャ

書庫のドアを開けた瞬間、思わず声をあげそうになった。

「真梨…おはよう」

その日、私を迎えてくれたのは、龍我くんと…

「水瀬さん、はじめまして」

「は、はじめまして…」

どぎまぎと頭を下げる私。

「俺のこと知ってる?」

アーモンド形の目がしっかりと私を見据えている。

「金指…くん」

「そう、正解」

金指一世くん、だった。

彼は少しだけ口角をあげて、頭を下げる。

「龍我が、お世話になってます」

「え、はぁ…はい」

そういえば昨日、書庫のドアから金指くんも私たちを見ていたんだっけ。それを思い出すと、複雑な心境だった。私たちの関係を、金指くんが快く思うはずがないのだ。

「でも、どうして…」

金指くんがここにいて…私と会わせたのはなぜだろう。

私の問いに、金指くんは答えなかった。そのかわり、龍我くんを見上げた。

「…ちゃんと言うんだよ」

促すようにそう言うと、「しばらく外にいるから」と書庫を出ていった。

龍我くんが私に向き直る。

「真梨、話っていうのは…」

 

 

 

…龍我side……

 

 

 

君が好きだった。

どうしようもなく好きだった。

とどのつまり、そういうことだったんだよ。

規則とかそういうものを取っ払ったら、もう君しか見えてなかった。

好き、という感情は不思議だ。ある日突然、他の何物も適わないほどの強さと大きさをもって、波のように迫ってくる。

だからなのだろう、繰り返し耳にしてきた規則に、その意味を疑うようになった。嘘のない気持ちに蓋をしろと、そう命じる規則とは何なのかって。

この感情のもとに、他の守るべきものの存在はかき消され…このとき俺は、明らかな息苦しさを感じていた。

縛られて生きることに、抵抗したくなったのだ。

…きっと身勝手なんだろう。無責任なんだろう。そういう後悔は常に根底にあって、それでも真梨と一緒にいたかった。

だから俺は決めたんだ。

「これからも…好きでいていいですか?」

 

 

 

…真梨side……

 

 

 

彼は私に、2度目の告白をした。

普通の男子高校生ではなく、アイドルでもある彼としての告白を。

私は一歩彼に近づいた。

佐藤龍我を、真正面からしっかりと見つめた。

返事は決まっていた。

両肩に手を置いて、そっと背伸びして…あなたにキスをした。

ちょっと驚いたような表情をした彼は、次の瞬間、私を引き寄せて抱きしめた。

「…ありがとう、真梨」

 

 

 

これが正解とは思わない。

けれど、龍我くんがどんな決意をもって、その答えに踏み切ったのか…それがわかれば、もう十分だった。

私は静かに聞いていた。

この関係の行く先が告げる声を。

「このままでいれば…見つかるよ。いずれ必ず」

金指くんは、確認するように言った。

「それでもいい」

私たちは強く頷いた。

どくどくと胸が鳴っていた。

終わりの見える恋の始まりを知らせるように。