【瞬 第8話 交錯③】
…龍我side……
本当に信じられる人。
慎重に慎重を重ねて、真梨と2人で考えた。
秘密を打ち明ける友達、数人を絞りながら、
俺が俺で…ごめんね?
何度そう思ったかしれない。
真梨は勘づいて、
「…私が決めたことだから」
きっぱりとそう言った。
「龍我くんと一緒にいたいって、決めたのは私だから」
俺にはもったいなさすぎる彼女だなんて、このとき思ったんだ。
初めて会ったときと寸分たがわない笑顔で、
「…大好きだよ」
静かに花が咲いたような、そんな笑顔を浮かべて彼女は言った。
…金指side……
「そっか……」
携帯から聞こえる龍我の声は、意外にもしっかりしていた。
「大切にしなよ、彼女のこと」
俺はそう言って、電話をきった。
終わりの見える恋だ。それでも続けたいと言う。
2人が決めたことなら、俺は何も言うことはない。
龍我と知り合って3年。
彼の性格を、俺は知っている。
頑固で負けず嫌いで、そして天性の才能を持ち合わせた努力家。
ただ…無理はしないで。
見かけによらず、ナイーブなところがあるから。
俺にできること、それは。
2人を守ることだ。
…夏菜子side……
それは、人生で最大の出会いだった。
図書館書庫。
初めて訪れるその場所の前で、あたしは勇気を出してドアノブに手をかけた。
緊張は頂点に達していた。
どうしよ、あたし。倒れるかも。
かるく貧血になりかけて、この熱の上がりようはやっぱり"本気で好き"だったんだと気づいた。
頭のなかが煮込みスープみたいにグツグツとして、空回りする思考を抑えつつ、ドアを開けた。
「…はじめまして」
このときの会話を、あたしはよく憶えていない。
ただ、テレビで見るより背が高くて、テレビで見るよりかっこよかった。そんなアホみたいなことしか憶えていない。
初対面の後、真梨におそるおそる「どうだった?」と訊かれた。
「…うん……なんか、」
なんか、よくわからないけど、
「…ありがとう、真梨…っ、うっ…」
その言葉が、あたしの口から滑り落ちた。
驚いたように見つめる真梨の目からも、涙が零れ落ちる。
「ごめんね、ごめんねぇっ…」
「うぅん、…違うの、違うよ…真梨…」
道行く人が、泣きながら抱き合うあたしたちを不思議そうに見ていた。
このときね、あたし、素直になったんだよ。
涙は、あたしの心の淀んだ澱をすっかり洗い流した。
『佐伯さん。見守っていて、くれませんか』
初めて傍で聞いた、彼の言葉を思い出した。緊張気味なその言葉。
でも彼は真剣だった。2人が一歩を踏み出した気持ちが、あたしにはなんとなくわかるような気がした。
『はい…わかりました』
とびきりの笑顔を浮かべて右手を差し出す。
握り返す龍我の手は少し汗ばんでいた。きっとずっと緊張していたのは、彼も同じなんだ。
そう思いながら、次にピッピと交わした握手で、あたしは、
『なんか…テレビと変わらないね』
『そりゃ、これが素ですから』
そんなやりとりができるまでに、笑えてたんだ。
『これからよろしくね』
…真梨。
出会わせてくれて、ありがとう。
…龍我。
君を好きになってよかった。
…真梨side……
夏菜子を龍我くんたちに会わせてからしばらくして、私は麗華にも事実を打ち明けた。
ここにあえて時間差をもうけたのは、夏菜子が落ち着くまでの時間が必要だと思ったからだ。彼女には、夏菜子ほどの衝撃はないと考えた。
麗華は、その性格も相まって、目を大きく見開いて「本当なの?」と言ってからはずっと黙っていた。反応の違いは予想通りだ。
「…そう。それで、今度実際に会ってほしくて」
「わかったわ。いつがいいかしら?」
そう言ってすぐ手帳を取り出すあたり、飲み込みが早い。
事前に龍我くんに指定された日にちを伝えると、それを書き込みながら、麗華は呟いた。
「すごい出会いね…」
いつだったか、『龍我に近くで会いたいよー』と言っていた夏菜子を思い出した。ありえないでしょ、でも出会っちゃったら大変だよね。あのとき笑っていた私たちは、今まさにその未来に立っていた。
…本当にすごい出会いだよ。龍我くん。
ありえないって思ってたことが、現実に起きたんだよ。
これを運命と言わずして、どう言うんだろう。
幸せだった。あなたに出会えたことが。一緒に日々を重ねられることが。
運命の神様はいるのかもって、このとき私は信じていた。
これは偶然じゃなくて、必然なんだって信じていた。
信じて…いたかった。
…志田side……
昼休み。
私は半分に折りたたんだメモをそっと隣の席にスライドさせ、席を立った。
「……」
教室を出るとき"彼"と目が合ったから、ほぼ確信を持って、いつもの場所に向かう。
_ガラガラ
生徒会室。
長机の横を素通りし、一番奥にひっそりとあるドアを開けた。
私はここを物置だと思っている。
4畳しかない狭いスペースは、雑多なもので埋め尽くされていた。それから、この場所におよそ似合わない革張りのソファー。いつ誰が持ち込んだのかは知らない。それでも、使い勝手の良さがわかってからは重宝している。
ここは生徒会室と中で繋がっているので、外から直接入ることはできない。生徒会の人間しか知らない部屋だ。
_コン、コン、コンコンコン
リズミカルにドアを叩く音が合図で、"彼"が来たとわかる。
「どうぞ」
そう告げると、そろそろとドアが開いて、"彼"が姿を現した。
「…ケイ」
俳優仲間。そして幼なじみ。
神木彗は、サッとドアを閉めるとすぐにカチャンと内鍵をかけた。
「何かあった?」
ソファーに座って昼食のパンを食べ始める。
「ん、あのね…」
学級委員たるもの、クラスの内情を多少なりとも知っていなければならない。これはそのための集まりだ。内容によっては教室で聞かれたらまずいことを、ここでときどき話し合う。
2学期に入ってから、私はある人物に目を光らせていた。
「…ふぅん」
私の話を聞いたケイは、パンを食べる手を止めて、顎を触った。何か考えているときの仕草だ。
「わかった。俺も注意して見とく」
「うん、よろしく」
私はやっとお弁当を広げた。
「おいしそう。もらうね」
開けるやいなや横から伸びてきた手が玉子焼きをつまむ。
「わっ、ふざけないでよ、バカ」
「うるさいなー。へへっ」
男女が密室で2人きり。
シチュエーションとしてはなんだかアヤシイけれど、幼なじみとは大丈夫なもので、私たちはお互いに恋愛感情を抱いたことがない。
ただ、この密会がもし知られたら…世間の目は、そう見ないだろう。
そんな世界に生きている。かくも生きづらい世界だ。
自分で飛び込んだ世界なのに、ちゃんと覚悟したはずなのに、どうして私たちは"日常"を求めてしまうんだろう。
東城高校は、ある意味残酷な制度を取り入れたものだと思う。
一般コースとトレイトコース。
壁1枚隔てた、隣り合わせの"日常"に、届きそうだから求めてしまうんだよ。
「…あのさ、さっきの件だけど」
玉子焼きを頬張りながら、ケイは言った。
「美久も今度それとなく訊いてみてよ。こういうのは女同士のほうが訊きやすいだろうし」
「うん、わかった」
ふと、"彼女"の笑顔を思い出した。
2学期に入って、"彼女"はよく笑っていた。手を叩いて、楽しそうに。
楽しそう。そう思うだけなら、別に気にすることはない。
ただ、ときどきその笑顔が、ふっと陰るのはなぜだろう。
色とりどりの華やかなトレイトコースのなかでも、一際目立つ人気女優。
立花なつみ…いや、橘菜摘。
彼女の悩み事は、きっと……
…橘side……
しのぶれど、色に出でにけりわが恋は、ものや思ふと、人の問ふまで。
いつか金指くんに言い当てられたその気持ちと、私は再び向かい合っていた。
古人が詠んだように、恋って案外…バレてしまうものなのかな。
貼りつけていた笑顔を解いて、無表情でぼんやりと見上げた空は澄んだ群青色だった。
『取捨選択は自由だよ』
彼女は言った。この空みたいに澄んだ色を瞳に浮かべて。
その瞳を、猫みたいだな、と思ったことがある。うちで飼っているロシアンブルーも、似たような瞳をしていた。小柄なのに強い目だなって。
彼女が、演技派と呼ばれる所以はそこだろう。目力は"その人自身"を訴えかける。
いつでも本質を見抜く彼女に、偽りの表情は通らなかった。
『このクラスに好きな人がいるの?』
放課後の教室、喧騒のなか耳元で囁かれた言葉に、飛び上がりそうになった。
『え、…え、なんで』
『なんでだろー。なんとなく?』
茶目っ気たっぷりに、にっこりと笑いながら彼女は言う。
『でも…気をつけてね?』
やわらかい言葉に、威圧感があった。
志田美久。
私は彼女が怖い。
…龍我side……
この恋には制限時間があった。
それは砂時計みたいに、流れ始めたら最後の一粒が落ちるまで止まらない。
逆さまにひっくり返せたらいいのにね。
そんな、人の力ではどうしようもないことを考えたりした。
あまりにも多くのものを、一気に抱えすぎてしまったんだ。
あの頃は、一瞬一瞬が大切な時間だった。…ほんの瞬きですらも。
終わりの見える恋の始まり。
それは君との最後の時間だった。