【瞬 第2話 偶然③】
…真梨side……
そして、放課後の図書館。
大問題が起きた。
「…えっ、どういうことですか?」
驚いて訊き返す私に、サキ先生は顔の前で両手を合わせ「ごめん!」と何度も謝った。その仕草だけなら可愛い先生なんだけど…
「ごめんね真梨ちゃん。この後、司書ミーティングがあるから今日はもう閉館なのよ」
東城高校の図書館では、月に一度、他校の図書館司書との交流会が開かれる。中高生に人気のある本の情報交換をしたり、図書館主催のイベントなどを司書どうしで話し合うのだ。
「だから、今日は当番を入れちゃいけないみたい。この間の当番決めの集まりのとき、言うのを忘れてしまって…」
「え…」
よりによって、今日。
念のためと思って当番を入れたのに、まさかのドタキャン。
そのとき、図書館のドアが開いて、他校の司書と思しき人達が数人入ってきた。「大原先生」と呼ばれて、サキ先生も会釈を返している。
このまま私がここにいたら、迷惑だろう。
「…わかりました。では今日は失礼します」
「ごめんなさいね。でも、来てくれてありがとう」
サキ先生は僅かに口元を緩め、忙しそうに走っていった。
ねぇ、神様。
最初から、決まっていたの?
2人の出会いは、必然だったの?
もしそうなら…一番先に来る感情は"嬉しい"じゃない。
とても意地悪な神様に、私たちは捕まってしまったんだ。
…龍我side……
予想外のことが起きていた。
「ちょっと那須、どんだけ不器用なの」
一見、フラワーアレンジの製作は滞りなく進んでいるように思われた。
ところが。
「もうほんとこればかりはねー…」
浮所の言葉にしかめっ面で答える那須。その手元には、まだあまり花を挿していないガラス瓶。
普段から全てにおいて完璧主義な彼は、それと同時にとんでもない優柔不断ぶりを発揮していた。
「もうっ、そこそこ。そこに挿すんだよ!」
「おまえ指先老人なの?」
他メンバーが様々に突っ込むなか、
「まぁ、人によりますから…」
苦笑しながらそう言ったのは、水瀬恵美さん。今回お世話になっている、フラワーアレンジのトップアーティストの女性だ。
体験するにあたって、水瀬さんからいろいろとコツを教わった。花と容器の選び方、色や形の組み合わせなど。
作業だけ聞くと簡単だと思っていたが、いざ作り始めると案外難しい。
まず容器の種類が、紙製だったりガラス製だったり、さらにはバスケットなど様々ある。散々迷った末にやっと容器を選び、いよいよ花を挿していくのだが、切ったら戻せず挿したら抜けないぶっつけ本番なうえ、感性を問われるので、決断力と集中力が必要だ。意外にも相当頭を使う。
それでも、みんなと話しながらやる作業はとても楽しく、思い思いの作品ができあがった。
浮所は、丸い容器に黄色やオレンジ色のカラフルな花を挿して、小さな葉を持つツル性植物を絡めたもの。金指は、和モダンな黒い陶器に紫色の花の一輪挿し。藤井くんはハート型の容器にピンク色のマーガレットで女子力全開に飾り付け、難易度の高いバスケットに挑戦した大昇はヒマワリを組み合わせて意外にも素晴らしい腕前を披露した。
そして俺は、四角い箱型の容器にドライフラワーのバラを隙間なく詰めた。それなりの高級感みたいなものは出たと思う。やだこれ自分で言ってて超恥ずかしい。
「やっぱ性格出てんなー」と笑い合って、完成品を見比べていた頃、那須がいまだ黙々と作業を続けていたのだ。
俺はちらと時計を見た。午前ロケだというのに、既に午後1時を過ぎている。カメラに映らないところでスタッフさんが"できるだけ巻いて"と合図しているが、こればかりは急いで失敗したら、水瀬さんに申し訳ない。
そんななか、スタッフさんがカメラマンさんにそっと耳打ちした。これは…
「一旦カメラ止めまーす」
のパターンである。
「那須くん急ピッチでお願いします」
「あ、はい」
カメラが切られた後、いよいよ収録時間がなくなるとみえて、メンバー総出で那須のフォローに入ることになった。そして、全員の共同作業を一瞬だけカメラに収める。
「ナレベか全カットだね、さすが那須」
浮所が小声で呟いて苦笑している。
「ちょっとそこー、さすがとか言うんじゃないよー」
「いいから口じゃなく手動かしてくださーい」
「ハイこれはここ。俺の直感がそう言ってる」
「あとはこれとこれ…かな?」
遅々としていた作業は、メンバーがフォローに入りだしたとたんスムーズかつ賑やかに進んだ。収録時間がギリギリだなんて、みんな忘れて。
もしかしたら、このシーンが一番盛り上がったかもしれない。
…真梨side……
買い物を終えて腕時計を見ると、1時半を少し過ぎたあたりだった。
さすがにもう収録は終わっているだろう。いつもより心がけてゆっくり買い物をしたし、その前にはふらっとスタバに寄って紅茶を飲んできたのだ。
けれど、そこまでしても、胸のざわつきは治まらなかった。
思えば、たった一度、佐藤龍我に会っただけで、私はなぜこんなに振り回されているんだろう。
ため息をついて空を見上げる。初夏の太陽が照らし、木漏れ日が落ちる道。ふと、買い物袋のなかに入っているアイスの存在を思い出す。めったに買わないものだけれど、沙耶に頼まれたのだった。
溶けないうちに、早く帰らなくちゃ。
私は早足で歩きだした。
…龍我side……
「終わったー!」
那須の作品は、時間をかけただけあって、素晴らしいものだった。
「はぁー、めっちゃ良いじゃん」
「大作だね」
「これ少クラのときNHKホールの裏手に飾ろうぜ。"作・美 少年一同"とか名前付けてさ」
「ちょっと! 一応俺の作品だからね!」
さらに、美人の水瀬さんに「初心者でここまでできるのは本当にすごい」と賞賛されて、単純な俺たちは鼻の下が伸びっぱなし。
「ありがとうございました! あの、押しつけがましいんですがぜひ握手を…」
那須が調子に乗って手を差し出す。水瀬さんは「いえ、こちらこそ」と照れ笑いしながら、握手に応じてくれた。もはやどっちが芸能人かわからない。
感動の握手会(笑)が続き、
「じゃあ、そろそろ…」
カメラを切って準備万端のスタッフさんが話しかける。名残惜しいけれど、帰らなくてはならない。
スタッフさんによると、家から少し遠い駐車場にロケバスを停めているらしく、迎えに来るまで玄関先で待つことになった。白を基調としたこの空間も、ほのかな花の香りがして落ち着く。できれば、ずっとここにいたいものだ。
…真梨side……
遠目から見やると、そこはいつも通りの我が家だった。テレビの取材車らしきものも、停まっていない。収録は終わっている。
ふぅ……
すっかり安心して、家に向かって歩いていると、背後から視線を感じた。振り向くと、電柱に寄りかかったスタイル抜群のパンツスーツ姿の女性が、私を一瞥してすぐに視線を逸らした。
誰…!?
ふと、ある予感がして、私は歩をゆるめる。
でも、収録は終わっているはず…。玄関先に立つと、また視線を感じる。
誰!?
ポン、と肩を叩かれた。おそるおそる振り向くと、さっきの女性が立っている。
「水瀬…真梨さんですか?」
「え?」
なぜ私の名前を知っているの。
そう訊く間もない。次の瞬間、彼女の口から驚くべき言葉が飛び出した。
…龍我side……
_ガチャ
ドアが開き、菅野さんが顔を覗かせた。
「バス来ましたー」
「じゃあ、行きましょうか」
大勢のスタッフさんに囲まれて、俺たちはそそくさと玄関を出る。
「…あ」
俺たちと入れ替わるように、1人の女子生徒が家のなかに入ろうとしていた。
まさか、鉢合わせたのか。水瀬さんの妹…東城高校の生徒に。
顔を逸らそうとしたとたん、ふっと、香りが鼻先を掠める。フローラルの、どこかでかいだことのある香り……
目が合った。
その瞬間、電流が奔ったように頭のなかが痺れて、身動きできなくなった。
彼女はふいと目を逸らす。
何かを察した菅野さんに、「龍我行くわよ」とすぐ車に乗せられたが、俺の目には彼女の姿が焼きついていた。
『ここで受け取るね』
図書館で出会った生徒。
俺の本を、受け取ってくれた…あの生徒だったのだ。