ピの図書館

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【瞬 第3話 距離①】

…龍我side……

 

 

 

放課後の補習。

ふと窓の外を見やると、一般コースのサッカー部員が試合をしていた。

俺は部活をやっていない。幽霊部員になることが目に見えているからだ。

球技でいえばバスケが一番好きだけど、試合として観戦するにはサッカーも十分おもしろい。真剣にボールを追っている彼らに、自然と見入ってしまう。

さて、そんな試合中、一際大きな「ナイッシュー!」が響いた。

_ピピーッ

試合終了。どうやらさっきのシュートが勝敗を決めたようだ。

挨拶をして、部員はそれぞれ散っていく。

そのなかで、赤いジャージを羽織った女子マネージャーが、試合を終えたばかりの男子に近づき、タオルを手渡した。2人で並んでベンチに座り、仲良さげに何か話している。

そうか。一般コースは、そういうのが許されてるんだよな。

なんとなく新鮮な気持ちで2人を眺める。

もし、俺が芸能人じゃなかったなら…

普通に恋愛をして、普通に彼女がいて、そして…あの2人の座るあの位置に、その人と座れたんだろうか。

よく雑誌の取材で、「初恋はいつですか?」と訊かれることがある。

そういうとき記者さんが望む答えは、幼稚園のときのあの子が好きだったとか、小学生のときは同じクラスの一番美人が好きで云々という、"恋"というよりは"好き"という気持ちに傾いているような経験談だ。その程度なら、事務所が許してくれるから。

俺が"美 少年"としてグループを組んでからのリアルな恋愛談なんて、誰も望まない。というより、中学2年で入所した頃からだんだん自分の立場というものがわかるようになってきて、恋愛をしなくなった。

アイドルは夢を売る存在だ。

菅野さんたちから、耳にタコができるほど言われ続けていることだった。

恋愛はしないように。ファンの皆さんを裏切らないように。決して誰のものにもさせず、手の届かない存在でいること。

俺は、あの2人のようには生きられない。

"恋愛"が身近にないからか、ああいう光景を目にするときは、まるでドラマを観ているような気分になる。壁1枚、隔てた世界にいるのだ。そう割り切れば、別に羨ましくもなんともなかった。

恋愛をしてみたいと、思ったことはない。たぶんこれからもないだろう。

「…佐藤。⑤の答えは?」

だから俺は、簡単に目を逸らすことができる。

「x=3です」

「よし、正解」

答えてからふと見た窓の外では、また賑やかに試合が始まっていた。

 

 

 

高校生活を送る一方、芸能活動のほうもこなしていかなければならない。今日は丸1日、メンバー全員で振り付けの確認をしながら、セトリを頭に叩き込む。さらに新しいダンスも覚えなくてはならない。いつものことだけど。

"美 少年"は最年長の藤井くん以外全員まだ学生。休憩時間になったとたん、金指は早速テーブルに教科書を広げた。東城高校の中間テスト最終日は5月20日。この日は同時に6月分の少クラの収録日でもある。誰だよこのスケジュール組んだの。

「龍我もやんなよ、そんなとこでシャカチキ食ってないで」

金指が勉強し始めると、俺もだいたい勉強しなくちゃいけない雰囲気にさせられるのが辛い。同じ学校に通う宿命みたいなもんだ。

そして、そろそろ中間テスト組なのは浮所も同じらしく、3人でテーブルを囲んだ。

しかし。

「あーっ、わかんねー!」

1週間を切ったし、休んだ授業もあるしで、俺は最大級に焦って…いや、やる気がなかった。

「静かにして」と金指。

「龍我うるさい」と浮所。

双方向から言葉の攻撃を食らった俺は、テーブルに突っ伏する。

「何? どこがわかんないって?」

遠くで振付師さんとの確認を終えて戻ってきた那須に「呼んでないんだけど」と白目を剥くけど、もう遅い。

「うわ…何この答え」

で、俺のノートを覗き込んだ第一声がこれ。

「龍我、ビューティフルのスペルが違うし、ここはhaveじゃなくて過去形だからhad。あっ、ワンダーの2文字目はaじゃなくてoだから」

怒涛の勢いで間違い探しが始まった。自分がバカとしかいいようがない。

教えてもらうなら那須よりは藤井くんとか大昇のほうが、圧倒的な実力差を思い知ることもなく、ダメージも少ないよな…と周りを見回すと、2人ともいつのまにか俺の後ろに立っていた。

「わぁ、懐かしいなこれ。…もう覚えてないけど」

覚えてないんかい。

「俺もこないだ習ったけど難しかった」

大昇もギブアップ。ということは必然的に、

「…はい、諦めて」

仏のような笑みを浮かべた那須が、俺の肩をポンと叩いたところで、

「休憩終わり! みんな集まってー!」

振付師さんからお呼びがかかる。

「また後で教える…つっても間違いだらけのような気がするけど」

「うっさい黙れ」

そう返しながらも、俺はサッと気持ちを切り替えた。

少クラで披露するこの曲で、俺の立ち位置はセンターだ。

集中力を高める。

アップビートの曲が始まる。

やっぱり俺は、体を動かすほうが好きだ。

歌うこと、踊ることが、好きで仕方ない。自分を表現することが、どれほど気持ちいいことなのか。

こういうとき、俺は根っからのアイドルなんだと思う。

 

 

 

…真梨side……

 

 

 

数日後。

私は図書館にいた。この間の司書ミーティングで空いたぶん、今日当番に入ることになったのだ。

いつものようにカウンターに座って仕事をし、閉館間際になったら当番として最後、本の配架に向かう。

荷台を押しながら、そういえば佐藤龍我と会ったのはこの時間帯だったと思い出した。いまだ、面と向かって会いたくない気持ちに変わりはない。というか、フラワーアレンジの収録前に思い悩んでいたよりさらに、顔を合わせたくない気持ちが増していた。まぁ、私がいくら思い悩んだところで、もう偶然はないだろうけど。

何事もなく本を戻し終えてカウンターに戻りかけたとき、ふと自習室の電気が点いていることに気づいた。最後までいた人が消し忘れたのかと思って扉を開けると、一番奥の席で突っ伏している男子生徒がいた。机の上に教科書を広げながら、寝落ちしてしまったらしい。

「すみません、もう閉館なんですが」

そう言って軽く肩を叩くと、男子生徒はむっくりと起き上がった。

「あ、すいません……」

その顔を見たとたん、

「あっ…」

なんで、どうして、ここにいるの!

 

 

 

…龍我side……

 

 

 

「びっくりした…」

俺が呟くと、彼女は慌てたように目を逸らした。その仕草が、あの日の女子生徒と重なる。

「水瀬さん…だよね?」

おそるおそる尋ねると、彼女は小さく頷いた。

「偶然だね」

水瀬さんは「そうだね」とだけ返す。

なんだろう。最初に図書館で会ったときよりも、態度が素っ気ないような…

「…佐藤くん」

「お、初めて名前呼んでくれた」

にこやかに言ったつもりだったのに、彼女はどこか余裕がないように言った。

「もう閉館だから、帰って。…じゃあ」

「待って」

背を向けて足早に過ぎ去ろうとする水瀬さんの腕を掴む。彼女はビクッとして振り返った。その目には、困惑の色が浮かんでいる。

「…ごめんなさい。腕、離して」

それは明らかな"拒否"と、若干の"怯え"を含んだ声だった。

「なんで…」

「言われたの。佐藤くんとは、目を合わせるなと」

水瀬さんは静かに言った。

 

 

 

…真梨side……

 

 

 

あの日…フラワーアレンジの収録の日、玄関前で私を呼びとめた女性は、"美 少年"のマネージャーさんだった。どうしてあのとき、彼女がそう言ったのか。考えられる理由はひとつしかない。

「同じ高校の生徒だから、念には念を入れたかったんでしょう。佐藤くん、金指くんとは、目を合わせないでと言われたの。だから知らんぷりをした」

そこまで一気に話すと、彼の手の力が緩んで、私の腕はゆっくりと離された。

「そう…だよね……」

悲しそうな声だった。それを聞いたとき、なぜか後ろめたい気持ちが襲ってきて、私はまた早口で付け足した。

「ごめんなさい、知らんぷりをして。佐藤くんとは、前にここで会っていたから…気づかれたら大変だと思って、無視をしたの。ごめんなさい」

「いや」

彼は、私の言葉を遮った。

「それが正解だよ」

諦めたような声だった。

「ごめんね、引きとめて」

そして、にこやかな笑顔のまま机の上を整理して、スクバを肩にかけた。

「じゃあ…また」

その笑顔に一瞬、寂しさのようなものを感じた。呼びとめる勇気もないまま、自習室から去っていく背中を、私はただ見つめることしかできなかった。

 

 

 

…龍我side……

 

 

 

図書館から出て数歩歩いたところで、俺は立ち止まった。

水瀬さんに会ったら言おうと思っていたことを、忘れていた。

この間はありがとう。フラワーアレンジ、楽しかった。いい体験ができたと、お姉さんにも伝えておいて。

一瞬、図書館に足が戻りかけたが、すぐにやめた。さっきの態度から、水瀬さんは俺を怖がっているように見えた。今戻って伝えたとしても、戸惑うだけで、気まずい時間になるだけだ。

3度も偶然が重なった。彼女だって、驚いているに違いない。

申し訳ない気持ちになりながら、帰り道を急いだ。

 

 

 

水瀬さんに伝えたいことを伝えられないまま、時間は過ぎた。

別にそのことで四六時中頭を悩ませていた訳ではない。仕事中は忘れていたし、それほど大したことでもない。けれど、ふと落ち着いたとたん、彼女のことを思い出す。

3度も偶然に会った人。

思い返すとき、共によみがえるのは彼女の香りだった。フローラルな香り。香水でもシャンプーでもなく、花に囲まれて生活する彼女自身の香りなのだろう。決して強くない、優しい香り。不思議なことに、その香りは鼻の奥にいつまでも残って、消えなかった。

水瀬真梨さん。

彼女はそれくらい、俺に深く印象を残した人だった。