ピの図書館

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【瞬 プロローグ】

…真梨side……

 

 

 

5月。

見上げた空は五月晴れと呼ぶのにふさわしい水色で、吹く風が肌に心地良い季節だ。

新年度の高揚感も落ち着いて、忙しない日常を取り戻した都心の大通り。

赤信号で立ち止まったとき、隣から賑やかな声が聞こえてきた。

「見て! 看板変わってる! あれ新曲じゃん」

「ほんとだ。写メっとこーよ!」

長い信号待ちに、女子高生と思しき彼女たちは、各々携帯を取り出して空中にかざし始める。

つられて視線を向けたとき、条件反射のように、私の胸は小さく跳ねた。

パシャン、とシャッターの音がする。

「あー、やっぱビジュ良すぎでしょ、那須

「龍我も超可愛いんですけど!」

ふぅ、と小さく息を吐く。こういう会話は今までも聞いたことがあるし、もう慣れてるから…その看板を、まっすぐ見つめた。

『美 少年 New Single Cosmic Melody 5.11 on sale!!』

ポップなタイトルの下に、カメラ目線で笑顔を浮かべる6人。

そのセンターにいる"彼"からは、なんとなく目を逸らせない。

アイドルの彼を目にするたびに、私の胸はいつもキュッとすぼむ。甘酸っぱい恋の感覚を、昨日のことのように思い出してしまう。もう6年も前のことなのに。

信号が青に変わり、人波が動き出した。

こうして時が移ろっていくことを、あの頃も知っていたのに、どうして惹かれたんだろう。

永遠に変わらないものはないのだということも、いつか終わりがくるということも。

…龍我くん。

あなたと出会って初めて、愛することの重さを知った。

体が震えるような切なさも、胸を焦がすような痛みも、あなたに恋して初めて知った。

いつまでもそばにいたかった。

叶わない未来だとしても。

高校2年生のあの日。

春風のように迷い込んだ恋は、思い出すたびに私の胸を淡くくすぐった。

 

 

 

午後3時を過ぎると、窓際のカウンターには西日が射す。

図書館司書としてここに座り始めて1ヶ月。

清潔感のある白いカウンター。何も置かれていないそこに黄昏時の光が降り注ぐとき、私はぼんやりと寂しさをおぼえていた。

春は、花咲く季節だ。

「…あの」

隣に座っていた2つ年上の志保さんに、思いきって声をかけた。

「明日から、ここにお花飾ってもいいですか?」

唐突すぎたかもしれない。

志保さんは目をまるくした後、「そうね…」と頷いた。

「いいんじゃないかしら。明るい雰囲気になるもんね」

「ありがとうございます」

ふわっとやわらかく微笑んで、また業務に戻る志保さん。

初めて通った意見に小さく胸を躍らせながら、花の種類を考える。

5月…もうすぐ母の日だ。

すぐに浮かんだその花を、私は心に留めた。

 

 

 

帰り道、大通りにさしかかると、引き寄せられるように目線が上にいく。

夜になっても明るいこの街。白いライトに照らされて暗闇に浮かび上がる"彼"と目が合った。

…龍我くん。

手を伸ばしても届かない距離にいる彼に問いかける。

元気にしてる…?

目を閉じた。

あなたを想うこの刹那に、幾度目かの願いをかけた。

ねぇ、また、会いたいよ…

そっと目を開いて、私はまた歩きだす。

 

 

 

この世界に、もし奇跡があるんだとしたら。

信じていたい。

あの日、あの場所。

私はあなたにひとつだけ"奇跡"を託した。