ピの図書館

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【瞬 第1話 図書館①】

…真梨side……

 

 

 

風が吹いた。

開け放った窓から教室に吹き込んで、くすぐったく髪をなでる。私は読んでいた文庫本から顔を上げた。

午前7時。いつものように電気をつけ、換気扇を回す。黒板脇のケージを覗き込むと、ハムスターがカラカラと忙しなく回し車を駆けていた。お皿に餌を入れ、水を補給する。異常なし。これにて私の仕事は完了。

高校2年生になってひと月。毎朝の読書ついでに、本来学級委員がする仕事までこなすのが、クラス…いやおそらくは校内で一番乗りの私の日課だった。頼まれた訳ではないけれど、この仕事を私は特に苦とは思っていない。静かな朝の時間を大好きな読書にあてるついでにしているだけだから。

窓際にもたれて校庭を見下ろす。ついこの間まで咲いていた桜の花はすっかり散って、鮮やかな緑色へと様相を変えていた。その並木道を縫うように、生徒たちが歩いてくる。あともう少しすれば廊下は喧騒に包まれ、教室は賑やかな声で溢れるだろう。私だけの時間は終わりを告げる。

_ガラガラ

扉が開いた。長い脚が覗き、ひょこっと現れた顔が私を見つけて笑った。

「やっはろー、真梨」

「何その挨拶…おはよう」

校則違反ギリギリまで着崩したブラウスと、膝上10センチをゆうに超えるミニスカ。私の親友、佐伯夏菜子は、茶髪のボブヘアーを軽快に揺らしてやってきた。

ハム太郎、元気だねぇ」

彼女はすぐさまケージを開けてハムスターを手に乗せる。ふと、餌入れのお皿が目に入ったのか、振り向いた。

「いつもごめんね。仕事。ありがとう」

夏菜子は、そのギャル風の容姿とは裏腹に、性格はきちんとしている。そして、何を隠そう、このクラスの学級委員でもある。

「おまえは可愛いなぁ〜」

手のひらのハム太郎に高い声で話しかける様子は、どこか微笑ましい。4月、一番最初のLHRでハムスターを飼おうと言い出したのは彼女だ。教室内でメダカ以外の生物を飼うのはうちのクラスが初めてで、珍しさからか全員が賛同した。やがてやってきたハムスターは、有名アニメキャラにちなんでハム太郎と名付けられ、以来2年A組の癒しとなっている。

 

 

 

夏菜子がやってきてからは、クラスメートが続々と登校してきた。

「あっ、麗華!」

夏菜子のよく通る声が、真ん中の席で静かに授業準備をしていた生徒を呼ぶ。

「やっはろー」

例によって謎の挨拶を繰り出す夏菜子に、呼ばれた"彼女"は人好きのする笑みを浮かべて歩み寄ってきた。それだけで周りの生徒が道を開けるほどのオーラを放つ。

「おはよう。真梨、夏菜子」

宮崎麗華は澄んだ声を響かせた。

麗華は、その大人っぽい話し方と容姿端麗さで、学年一の美少女と言われている。長い黒髪を背中に垂らして佇む姿はさながら日本人形のようで、誰しもの目を引く。

私たち3人は、小学校からの大親友だ。人見知りな私が本心を曝けだせる仲。

こうしていつものメンバーが揃うと、週明けの月曜ということもあって休日の話題に花が咲く。

「ねぇ、一昨日の美tube観た?」

開口一番、夏菜子が持ちだした話題は、"美 少年"についてだ。

「あぁ、チラッとね」

私が答えると、麗華も頷く。

「面白かったわ」

「ほんと!? 良かったぁ」

夏菜子、嬉しそう。

彼女は、脳みその8割はそれで埋まってるんじゃないの?っていうくらい、"美 少年"のファンだ。"美少年"は、大人気のジャニーズJr.グループの名前。彼らが出演しているYouTubeチャンネル"美tube"が毎週土曜夜にアップロードされるため、月曜朝一番の話題は専らこれである。

夏菜子に推され続け、そんなに面白いならとちょっと興味が湧いて、一昨日初めて観てみたのだ。

彼らは、女の子がキュンとする男子の仕草を実演していた。さすが、ジャニーズらしい企画。

すると、やはりファンにとってはたまらないものだったのか、夏菜子は興奮して話しだした。

「龍我がさ、ヤバかったよねー!」

「壁ドンね」

特にファンでもない私は何とも思わなかったけど。

「壁ドンからの"俺だけ見てろよ"ってやつね。あれはどうにも狙ってる感じがして私はちょっと」

麗華は微妙な顔をして首を横に振る。

「それよりも、私は金指くんが良かったわ。"僕と付き合って"っていう、一番ノーマルな告白が素敵じゃない?」

「えぇー!」

夏菜子と私がハモった。

「ピッピのあれはキュンっていうより可愛いの部類でしょ! それよりさ、いつもバブい龍我が頑張ってオラオラしてる感じが最高だと思いませんか!?」

「麗華が好きな告白パターンって意外だね。もっとロマンチックなシチュエーションかと思ってた」

私は素直に意見した。

「あまり派手な演出は好きじゃないわ。普通でいいのよ」

そう語る麗華は目が輝いているけど、これでも彼女は"ファンじゃない"と自称している。でもなんだかんだ言いながらも夏菜子からアイドル誌を借りたり出演番組をチェックしたりしているから、もう完全にファンだと思うんだけどなぁ…

「ところで、真梨は誰のが良かったの? 6人のなかで」

唐突に訊かれ、思わず考え込んでしまう。

うーん…

正直に言ってしまうと、ない…

娯楽として観ていた私。誰の仕草にキュンとしたとか、そんなの考えてなかった。

しいて言うなら、

「佐藤くんかなー」

「むぁじか! 意外すぎる!」

夏菜子が叫んだ。いや、ほとんど適当なんだけどね。

「真梨も案外、押されるのに弱いのね」

麗華がまじまじと見つめる。いやだから適当なんだってば。

あのとき、ばっちりカメラ目線で"俺だけ見てろよ"と言った彼は、演技じみた、まさにアイドルという感じがした。

高校2年生とは思えない表情やセリフを、彼らは淡々と演じてのける。そこいらで馬鹿騒ぎしている男子たちとは比べものにならないってことは認める。認めるけれど、それがジャニーズなんだと思うし、そもそも彼らは小さい頃から芸能界に入って私たちとは全く違う世界で生きているのだから、比べようもない。

「はぁ、私も言われてみたい! "俺だけ見てろよ"って最高じゃない? しかも壁ドンとかさぁ! もう!」

夏菜子はバタバタと興奮した。彼女の声はよく通るから、クラスの注目を一心に集めてしまう。麗華と私は肩をすくめた。

「ちょっとー、静かにしてよ」

「落ち着きなさい。あまり大声で叫ぶと…先生に目つけられるわよ」

麗華が囁いた途端、夏菜子は急に大人しくなった。

「…そうだね」

その顔が、ちょっと悲しそうにゆがむ。

 

 

 

特別な理由があった。

校内で、おおっぴらに"美 少年"の話をするのは、タブーだった。

私たちの通う東城高校は、普通の高校じゃない。

東城高校はコース制で、一般コースとトレイトコースに分かれている。

一般コースはその名の通り、私たち一般人が通う普通科

もうひとつ、トレイトコースは、特化した才能を持つ人…つまり、芸能活動をしている子たちが入るコースとなっている。

そしてここからが重要なんだけど、そのトレイトコースには、"美 少年"メンバーである佐藤龍我くんと金指一世くんが通っているのだ。さっきの私たちの話に出てきた人たちである。その他にも、子役で一躍有名になった神木彗くんや、志田美久ちゃんなど、名だたる芸能人である高校生が通っている。従って、普通の高校と比べたら芸能人との遭遇率は高い。しかし、ここは彼らにとってはプライベートの場所。出会うことのないように、2つのコースは壁で隔てられているし、ファンであっても、あまり大声で話すことは憚られる。私たちが声を潜めたのも、東城高校一般コースに通う生徒としての暗黙のルールみたいなものだ。

 

 

 

「…でも、さ」

夏菜子はちょっと不服そうに言った。

「どっちにしろ、"東城の壁"あるんだから、先生たちの心配って杞憂だと思わない?」

ベルリンの壁ならぬ、"東城の壁"。2つのコースを真ん中で割っている分厚い壁のことを、生徒は皆そう呼ぶ。

「まぁね。しかも恋愛禁止だし」

この壁があることに加え、さらに校則で"男女交際禁止"と書かれているのは、東城高校だけだと思う。といっても、トレイトコースの生徒だけに通ずる校則なんだけど。

この周辺は芸能雑誌の関係者がよく出没する。彼らにスクープを撮らせないために学校が全力を尽くして生徒のプライバシーを守っているのだ。

だから顔見知ることもなく、噂されることもなく、週刊誌に撮られることもない。

ただ学校側も万全を期しているので、ずば抜けてファンの多い"美 少年"メンバーについては、おおっぴらに話したりすると、学校の秩序を乱す生徒としてマークされてしまう。

「…でも、小声で話すなら自由だもんね」

夏菜子はちろっと舌を出し、また明るさが戻った。いくぶん潜めた声で、「やっぱり龍我が一番だよ」と笑う。

「あー、会いたいなぁ」

「ライブ何回も行ってるんでしょ。遠回しに会ってるじゃん」

「まぁね。でも席運ないからもっと近くで見たいの〜」

「夢見るわね。だからリアルに彼氏ができないのよ」

麗華がやれやれと呟くと、夏菜子はかしこまって頷いた。

「それは確かに。誰かー、龍我似の誰かー、私と出会ってくれー」

夏菜子の叫びに思わず吹き出したそのとき、

_キーンコーンカーンコーン

チャイムが鳴った。

「…そんな出会いがあったらもう人生ハッピーな勝ち組! って感じなのに」

夏菜子はそう付け加えると、「じゃねー」と手を振って、麗華とともに席に戻っていく。

去り際の一言が、なぜか耳に残っていた。

そんな出会いが、本当にあったなら。

それはまさに、青天の霹靂。

ハッピーどころか、逆に大変なことになるんじゃないかな…

そんなことを、軽く考えていた。

 


まさか自分が当事者になるなんて、そのときはひとかけらも思っていなかったんだ。