【瞬 第4話 恋③】
…龍我side……
真梨は昨日より神妙そうな顔で、しかし時間通りに書庫にやってきた。
絶対に避けては通れない話をするために。
「真梨。今日、また呼んだのは……俺の、ことを話すためだ」
目を逸らさずに、はっきりと言う。彼女は、しっかり頷いてくれた。
「俺がジャニーズに入ったのは、中学2年のとき。オーディションに受かって、Jr.になって…今、"美 少年"ってグループを組ませてもらってる。最初は母親の友達に勧められたのがきっかけだったんだけど、憧れの先輩もできて、だんだん仕事が楽しくなってきて…目指す理想に近づけてる気がしてた」
ネットで調べたらすぐわかるようなことを、俺はつとめて簡潔に話した。
ジャニーズも厳しい世界だ。そのなかでありがたいことに、俺は入所してすぐ社長に見つけてもらえて、同期の子たちよりだいぶ早く初ステージを踏んだ。
忙しい稽古に必死に食らいついているうちに、グループを結成することができた。機会に恵まれて、ドラマに出演することもできた。今まで大きな失敗をすることもなく、それなりに楽しくやってきている。
けれど…
「ときどき、考えることがあるんだ。もしジャニーズじゃなかったら、この世界に入ってなかったら、俺は今頃どうしてたのかなって」
俺は窓の外を見つめた。まだ誰もいない校庭に、しまい忘れたのかサッカーボールが転がっている。
ジャニーズに入ってから、俺は部活をやめた。バドミントンをやっていたけれど、ライブや舞台稽古のほうが忙しくなってやめざるを得なかった。ひとつの大きな夢を叶えるために、ずっと続けてきたこと、他のやりたいことを諦めた。だから、その夢のなかで、精一杯輝こうと決めたのに。
「…人の感情は、制御できない」
そう呟いたとたん、自分の声が頭のなかに響いたとたん、サッカーボールが歪んだ。目を逸らして落ち着かせるが、遅かった。
「何か、あったの…?」
真梨はすぐに勘づいた。澄んだ瞳で俺を見つめて問いかける。
「…何もないよ。…何も、ない」
感情は素直だ。
俺はそれに蓋をした。
真梨への想いをそっと、胸の奥に仕舞い込んだ。
…真梨side……
「…大丈夫」
ぽつりと漏らすように、龍我くんは呟いた。
「俺は大丈夫だから」
そう言って、いつもの笑顔を向ける。
その表情は言葉とは裏腹に、全然大丈夫じゃなさそうで。
でも、今の私にはどうする術もなかった。その手を握ることすら…
何も答えない私に、彼は訊いた。
「これからも、一緒に帰ってくれる…?」
私は頷いた。彼は優しく微笑んでくれた。
「ありがとう、真梨」
囲われた世界で過ごしてきたあなたは、輝ける立場にありながら、どこかできっと苦しかった。
多くの人に求められる喜びと共に、切なさも感じてたでしょ…
『感情は、制御できない』
彼が何を言いたかったのか、私は気づいてしまった。
私には無理だよ…龍我くん。
私たちは、友達の関係で止まる。
でも、それでもなるべく近くで受け止めてあげたかった。
あなたのジレンマも、複雑な気持ちも、全部受け止めてあげたかった。
…龍我side……
1週間に一度、図書当番のある真梨と一緒に帰る。それはしばらく続いていた。
ただ…あの日以来、自分の仕事の話をして以来、俺のなかで何かが変わったことは間違いない。
想いは留まることを知らないまま、驚くほどの速さで加速していった。
真梨は図書当番の仕事中、書庫に顔を出さなかった。図書委員という仕事上、最終下校時間を過ぎてもしばらくは居残ることができる。俺とのことが噂にならないように気遣い、それなりに理由でもつけているのだろう。司書教諭も真梨に戸締まりだけ依頼して先に帰っていく。そうして誰もいなくなると、ようやく書庫にやってくる。彼女は用心深い人だった。
それでもやはり、寂しい。書庫で待っている時間が、ひたすら長く感じる。夏から始まるドラマの台本や稽古のノートを眺めながら、願えば願うほど進まない時計の針をにらんでいた。
「ごめんね、遅くなっちゃって」
そう言って現れた真梨を見るたびに、いつも手を伸ばしかけてしまう。
夜道を一緒に帰っていると、街灯に一瞬照らされる華奢な腕や、なめらかな頬が気になった。
そういうとき、真梨はすぐに俺の視線を察し、僅かに身を引いた。
踏み込んではいけない線を、痛いほど意識していた。
俺のなかにあるのは、今にも弾けてしまいそうな実だった。熱を秘めて、膨らんでいく赤い実。
それは真梨も感じていたかもしれない。
思えばもう既に、互いが互いに絡みつく一歩手前まで来てしまっていたのだ。
曖昧な関係に終止符を打たれる日は、ある日突然やってきた。
その日も相変わらず、書庫で真梨を待っていた。
「お待たせ」
ひょいと顔を覗かせた真梨。いつもと違うのは、その腕に何冊か本を抱えていたことだ。
「どうしたの、その本」
「古くなっちゃったから、お蔵入りよ」
よく見ると、本にはだいぶ年季が入っていた。
「もうすっかりボロボロだな」
「それだけ多くの人に読んでもらえたってことなの。この本たちはきっと幸せ者ね」
真梨は、書庫の隅に置いてあった大きな踏み台を持ってきた。車輪が動かないように固定して、用心深く上る。棚の一番上段に本を立てかけようとするが、背が小さいからなかなか手が届かない。
「手伝おうか?」
「…ごめん、頼んでもいい?」
彼女のほうへと向かう足が、そのときカチャッと何かを踏んだ。
_ガタン!
「…わっ」
「危ない!」
留め具の外れた踏み台が一気に傾き、胸に飛び込んできた衝撃に背中から床に倒れこむ。
「いった……」
体の上にやわらかい重さ。
心臓がドクンと鳴った。
おそるおそる目を開ける…
うつむいた真梨の顔があった。
俺の腕のなかに、すっぽりと収まって。
目が合う。数秒。
「あっ…ごめんなさい!」
真梨は慌てて俺の腕を振りほどいて起き上がった。
俺も起き上がる。
しばらくはお互い目を合わせることができなかった。
気まずい……
「…あ、龍我くん、髪の毛にホコリが……」
真梨が近づく。微かな花の香りがかすめる。いつかかいだことのある香り…
そして、その指が髪の毛に触れた瞬間、胸の奥に潜んでいた実が、音をたてて弾けた。
「真梨」
その腕を掴んで引き寄せる。
「え、ちょっと…龍我くん、……んっ」
強く、強く抱きしめていた。
しかし、しばらくして自分の行為にやっと気づいたとき、恐ろしい思いが胸を冷やした。
こんなことをしてはダメだ。
ゆっくりと引き離す。真梨と目を合わせられなかった。
「龍我くん…?」
包まれるような優しい声。
涙が、溢れだしていた。
「なんで、泣いてるの…?」
真梨の震えた声が、耳の奥深くまで響く。彼女も泣いている。
ずっと秘めてきた想いは、もう隠しきれなかった。
真梨は俺の肩に額をつけてもたれかかる。
それを引き離せなかった。
「"壁"なんかなくそうよ…」
苦しそうな声が聞こえた。
"壁"をなくす。
それがどれほどの勇気がいることなのか。俺には分かる。
無責任なのか。そう聞かれたら、俺たちはきっと答えに窮してしまうだろう。
けれど、この胸の温かさを…お互いが、お互いを求める声を…どうしても諦めることができなかった。
「ごめん、俺…」
真梨が好きだ。
申し訳なさが、胸を突いた。
好きになってごめんなさい。
真梨は首を強く横に振った。俺の制服の襟をぎゅっと掴んで、離さなかった。
「私は…」
くぐもった声が聞こえた。
「人を好きになることが、いけないことだとは思わない。相手が龍我くんだからって…。だから、私は後悔しない。…それが、私の返事だよ」
背中に回した腕を緩めると、真梨と目が合った。潤んだ瞳で、彼女は、それでもなお優しい笑みを浮かべている。
この笑顔が。
真梨の笑顔が好きだ。
図書館で会ったときに、俺はもう恋に落ちていたのだ。この静かな、淑やかな笑顔に。
吸い寄せられるように、唇を重ねる。
夕日が射して、淡い蜜色に染まる書庫。
2人は初めて、お互いを知った。
…真梨side……
龍我くんの腕は私を優しく抱きしめた。すぅっと、爽やかな匂いがする。
私は、ただ身を委ねて、この幸せを噛みしめていた。苦しいくらいの幸せを。
初めて触れた体は、私をすっかり包み込んでしまうくらい大きくて、男の子っぽかった。
初めて、好きな人としたキスは…甘くてやわらかくて、唇を離した後も、まだ熱が残っていた。
顔を赤くしてうつむく私に、龍我くんは囁いた。
「やっと、気持ち伝えられた」
ひたすら遠い距離を縮めるのは、簡単じゃなかった。
けれど、同じところを見つめていた私たちは…
その日初めて、つながることができたんだ。